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ドラクエとの出会いが僕の人生を決めた。

僕は大のゲーム好きだ。幼稚園から社会人として働く今の今までゲームから離れたことは一度もない。これからもずっとゲームから離れることはないだろう。
そんな僕がなぜ大のゲーム好きになっていったのだろうか。
そんなことを改めて考えてみると、ふと文字に起こしてみたくなったのである。

ドラクエとの出会い

僕が初めてゲームに触れたのは4歳のころ。父親がSFC版のドラクエ3をプレイしていたのを横で見ていたのだが、そこで初めてコントローラーというものを握らせてもらった。父親のプレイをみていたおかげもあって僕はすぐにドラクエの操作に慣れゲームの楽しさを初めて味わったのである。
今思えば子どもでもすぐに理解し楽しめるということ自体がドラクエの魅力なのかもしれない。
自らが主人公となり広い世界を旅する。個性的なモンスターの数々や壮大な音楽。
そんな体験が4歳の自分にとっては非常に貴重な経験だったし、
楽しくって仕方がなかった。
そんなわけで僕は、「ドラゴンクエスト」という世界に一瞬で惹き込まれることとなったのである。

それからというもの、どんどんとドラクエにハマっていき、小学校にあがる頃にはドラゴンクエスト1.2.3.5はクリアしていた。
小学校1年生の頃、ランドセルには国語、算数などの教科書に加えてドラクエの攻略本をいれて登校していたほどである。
授業中に読んでは何度先生に取り上げられただろうか。
オリジナルのドラクエ図鑑やドラクエ日記なんかも作ったりしてこの頃からクリエイティブな事に目覚めていったのもよく覚えている。
それの影響もあってか美術の成績は常に高い水準をキープすることができ、
大学ではデザイン系の学校に進学した。自分はクリエイティブな事が好きだ!と思っていたが、その魅力に気付けたのはドラクエとの出会いがあってこそなのかもしれないと今なら思える。

廃人となり人生ゲームオーバーの危機

中学に入る頃にはシリーズは全てコンプリート。番外作品も大体はクリアしていたと思う。部屋にはドラクエのフィギュアやポスターも飾ってありドラクエ熱は全く冷めることはなかった。
むしろ、自分は誰よりもドラクエを愛しているという気持ちになっているほどだったのである。
そんな時にとある作品と出会う。ナンバリング初のオンラインゲーム「ドラゴンクエストⅩ」である。僕はこのゲームに狂ったようにのめり込んでいった。
当時はかなり批判も多かったように思えたし、実際に発売までは自分もいくつかの疑念を抱いていた事は確かだが、いざプレイしてみるとそんな気持ちは完全に吹き飛んだ。
大好きなドラクエの世界で、色んな人とリアルタイムに冒険ができる。レベル上げをしたり、ダンジョンを攻略したり、家を建てたり、鍛治をしたり、フレンドとおしゃべりしたり。
僕の第2の人生といっても過言ではないくらい熱中した。当時僕は受験生で勉強をしなければならないという現実から逃げ続けていたのかもしれない。
学校が終わり家に帰ると部屋に引きこもってゲームをつける。朝の5時に寝て7時半には家を出て学校へ。起きれずに学校を休む日も増えた。今までゲームに関して何も言わなかった親がついに僕の部屋のモニターを没収するほどだった。
しかし、貯めたお年玉で新たにテレビを買ってはまたドラクエⅩの世界へ旅立っていったのである。
そうして迎えた中学3年生の冬。もともと目指していた高校の受験に落ちてしまった。
勉強をしっかりすれば受かった可能性も十分にあったが、その時の僕にはもうそんな気力もなくひたすらにオンラインゲームにのめり込む廃人と化していたので、とうてい無理な話である。
受験に落ちた後は、なんだかどうでも良くなって、学校の先生には県でもトップクラスの最底辺学校(ヤンキーばっかの荒れたとこ)に志望先を変える話をした。
するとそこで先生は、

「しゃま君、あなたならまだ頑張れる。もう少しだけ挑戦してみなさい」

的なことを言った。
その時、ふと我に返り、今一度、
ラーの鏡で自分を見つめ直してみると、そこにはドラクエが好きだという感情すらを失ったただのネトゲ廃人モンスターになった自分の姿が映し出された。
その事実に気づいた時、僕はどうしようもなく涙が溢れてきたのである。その後、僕は完全にドラクエⅩを引退した。たくさんの仲間に惜しまれながらもアストルティアの大地を去る決意をしたのである。
あの頃の仲間たちは今何しているのだろうか。

こうして受験では最後の追い込みをかけ、幼少期からの親友と同じ高校に合格することができたのである。

ドラクエが僕の人生の道を記してくれた

高校生活は順風満帆そのものだった。
学業も、部活動も、プライベートもそれなりに上手くいき、楽しい毎日を過ごすことができたのである。
ゲームも今まで以上に幅広いジャンルを遊ぶようになり、いままで見えてこなかった新しいゲームの世界を知ることもできた。
そうやって何となく楽しい毎日を過ごして、気付けば高校3年生。
僕の高校は自称進学校だったので、とにかく勉強させられたし、少しでも良い大学に進むよう教育された。
しかし、僕はあえてクリエイティブな道を選ぶことにした。僕の学校から美大に行く人はかなりの少数派、というかほとんど前例もなく、学校からのサポートも特にしてもらえなくなってしまった。
それでも、何かを生み出すそんな存在になりたかった。何かを作ってそれを誰かに見てもらいたかった。面白いことがしたかった。
そんな理由で美大を受ける事にしたのである。

特に苦労もなく、大学に入学した僕はさらにゲームへの意欲が高まっていった。
ただただ好きなゲームをして、適当に学校行って、またゲームして。
学校も充実していたし、好きなゲームもたくさん増えたし、ああ、なんて幸せなんだとそう感じていたが、それと同時に虚無感に包まれるようにもなった。
当たり前の毎日を過ごして、当たり前のようにゲームをして、当たり前の人生を過ごす。
気づけば大学生も4年となり、卒業間近。
このまま当たり前のように就職して当たり前のように働いて、、、そう考えるとなぜかとても不安になってきたのである。

悶々とした日々を過ごす中、
僕がした決断は地元から離れて東京に行くことだった。
東京に行けばなにか面白いことがあるかもしれない。
始まりの村にずっといる勇者よりも、一歩踏み出して旅に出る勇者でありたいと、そう思ったからである。
子どもの頃に憧れた勇者が、僕の新しい人生を導いてくれた。

そうして理由もなく東京にきて、一人暮らしを始めたら、今まで当たり前だったことが全く当たり前じゃない事に気づいたのだ。

振り返ってみれば、僕の人生の指針はいつもドラクエに影響されていた。
ドラクエに出会ってゲームを好きになり、クリエイティブに目覚め、一時は堕ちかけたけど、こうして新しい土地への旅立ちをさせてくれた。

そして今僕はさらに新しい挑戦をしようとしている。

僕の生きる道はドラクエが作ってくれたのかもしれない。

そう思えて仕方がないのである。

就職後は働きながらもTwitterやYouTubeなどの発信活動を始め、本当にたくさんのゲーマーと出会うことができた。
まだまだ自分の知らないゲームの世界があることも知った。


今の僕を作り出してくれた、ドラクエ。


本当にありがとう。



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