賢愚経巻第三 貧女難陀品第二十

賢愚経巻第三 貧女難陀品第二十
(貧しい女の難陀の話)
 このように聞いた。仏が舎衛国の祇樹給孤独園(祇園)にいた時のこと。
 難陀という貧しくて親族もなく乞食をして生きている女がいた。
 諸国の王臣や民の富者から細民に至るまでが仏と衆僧に供養するのを見て思った。
〈自分は宿罪によって貧賎に生れた。福田に会っても布施する種子がない。とても悲しいことだ〉
 終日休みなく乞食をしてようやく一銭をもらい、油屋に行って油を買おうとした。
 油屋はたずねた。「一銭で買える油なんてないにひとしいぞ。何に使うのだ」
 難陀はつぶさに思うところを語った。
 油屋の主人はあわれんで倍の油を与えた。ようやく一燈に足る油が手に入り、喜んで精舍に向かい、世尊に奉った。仏前のたくさんの灯火の中に加えたのだ。
 そこで誓願を立てた。「私は今は極貧の身ですが、この小燈を仏に供養しました。この功徳をもって来世には智慧の光をたまわり、一切衆生の煩悩の闇をはらわせたまえ」
 この誓願を終えると仏の前で礼をして去った。
 夜が明けて諸々の灯火は消えたが、この灯火だけは燃えていた。

 このとき目連が次の日直で、夜が明けたので灯火を回収に来た。この一灯だけか盛んに燃えていて新しい灯火のように芯も損なわれていない。白日のもとの燃燈は無益だから日が暮れてからまた灯そうと手であおいで火を消そうとした。しかし火は消えず今度は衣であおいだが灯明は消えなかった。
 仏は目連がこの灯火を消そうとしているのを見て言った。「この灯火は汝ら声聞ではびくともしない。四大海水を注ごうと、嵐の風が吹こうと消せないのだ。なぜならこれは広く済度する大心を発した人が布施したものだからだ」
 仏がこう言い終えると、難陀女人が再び来て仏に詣で、頭を地面に押し当てて礼をなした。
 この時世尊は授記(成仏の予言)をした。「汝、この先、二阿僧祇百劫のうちに仏となるであろう。燈光仏といい、仏の十号を満たすのである」
 そこで難陀は歓喜し、仏の前にひれ伏して出家を許してほしいと願った。
 仏はこれをききとどけ比丘尼とした。

※「貧者の一灯」の元になった話です。キリスト教でも似た話があるようですね。仏教では本来「広く済度する大心を発した」貧しい女人が布施したために消えなかったという話です。

 阿難比丘と目連は、貧しい女人が苦厄をのがれ出家し受記を受けひれ伏し合掌するのを見て、仏の前に進み出て言った。
「難陀女人はどのような宿世の経緯があって貧しく乞食の生活をし、また何の因縁があって仏に会って出家したのですか。人・天・竜・鬼の四輩が慕い、争って供養を求めているというのにそちらには行かずに」
 仏は阿難に言った。「過去に迦葉仏がいた。その時、世の中に居士の女人がいて、みな仏と僧に供養して誓願した」

 迦葉仏はまず一貧女の供養を受け、女は阿那含道(欲界及び天界には再び還らない第三果)を得た。
 時に長者の婦人は自らの財富をのんで貧者を軽んじていた。仏が先に貧者の供養を受けたのをいやがり言った。
「世尊、どうして私の供養を受けずに先にその乞食の供養を受けたのです」
 その聖賢を軽んじた悪言のゆえに、五百世にわたってつねに貧乏な乞食の家に生れたのである。その日に如来と衆僧に供養して敬う心をいだき歓喜したがゆえに今、仏の世にあって出家・受記し、国中があおぐことになったのだ」
 このとき会衆は仏の説くところを聞いて、皆、大歓喜した。

 国王と臣民は、この貧女が一燈を奉上して成仏を約束されたと聞き、尊敬の心を抱いて、みなが並んで上等な衣服をささげ、生活の一切は欠けることがなくなった。国中の男女は尊きも卑しきも老若問わず香油の燈をささげようと祇園に集まり仏に供養した。人が入り乱れて灯火は祇園の諸樹林中に広がり、衆星が空にあるようにあふれ広がった。このような日々が七夜続いた。
 阿難は、如来のわずかな徳についてもほめたたえようとする行為にはなはだうれしくなり、仏の前にすすんで言った。
「世尊、不思議なのです。過去世中にどのような善根を積んでここに消えない灯火を供養するという果報を得たのでしょうか」
仏「二阿僧祇九十一劫というはるかな昔、この世界に波塞奇(ハサイキ)という大国王がいて、世界の八万四千の諸小国をかさどっていた」

 王の大夫人が太子を生んだが、身は紫金の色で三十二相八十種好をそなえ、頭上には自然の宝があり、光り輝いていた。占い師を召して吉凶を占わしめ、名付けようとした。占い師はその奇特な相を見るなり両手を挙げて唱うように言った。「善きかな善きかな。今この太子は世間の天人には並び立つ者なきお方。家にあっては転輪聖王となり、出家しては自然と仏になるお方」
 占い師は王に太子が生れた時に何か普通とは違うことがなかったかとたずねた。
王「頭上に明宝があり、自然と出てきたのだ」
 そこで勒那識祇(漢語では宝髻)と名づけた。
 成長すると出家し道を学んだ。仏となり人民を教化し、済度した者がとても多かった。父王は仏と僧に三ヶ月間供養したいと言った。
 阿梨蜜羅(漢語では聖友)という比丘がいて三ヶ月間、灯火をともす檀越として毎日都市に入り、諸長者、居士、民に灯火用のバター油と灯芯を求めた。
 時に牟尼という王女がいて、高い楼閣に登りこの比丘が毎日都市に入り油を調達するのを見て、心に深く敬いの心を抱いた。人をやって問わせ、いつもの労苦をねぎらわせた。比丘はかくかくしかじかと語り、使者は報告した。
 王女は歓喜し聖友に、もう行乞に行かずともよい、私が灯火の元を布施しようと言った。比丘はそのようにしたい、と言い、灯火の元がつねに精舎に送られるようになった。聖友比丘は毎日燃燈供養をし、広く済度する誠心を抱いた。

※宝髻如来は称檀德仏ともいい、中国では放生会で唱える『陀羅尼集経』に出てきます。動物の死体を見た時は「南無宝髻如来」と唱えると、その動物は三悪趣(地獄・餓鬼・畜生)には堕ちず善処に転生すると言われています。原語では「Rat!nas/ikhin」仏といい、かなり古い仏のようです。
SAT大蔵経では『五千五百仏名経』に出てきます。
「宝髻如来护身咒」というものもあり、中国ではよく知られた仏様のようです。
https://zhuanlan.zhihu.com/p/124311057
『陀羅尼集経』二巻には「囉怛那尸緊雞佛印呪第二十一 唐云栴檀徳佛」として出てきます。

 仏は授記して言った。「汝ははるか阿僧祇劫の来たる世に仏となる。名を定光といい、仏の十号をそなえるであろう」
 王女の牟尼は聖友比丘が授記されたと聞いて思った。
〈仏の燈火は元々は私があげた物。比丘は仕事をしているだけ。私には何の功徳もない〉
 そして仏のところにいき、心の内を述べた。仏は授記して牟尼に告げた。
「汝ははるか二阿僧祇劫九十一劫の来世に仏となる。名を釈迦牟尼といい、仏の十号をそなえるであろう」
 王女は授記をうけて歓喜し、その場で男子と化した。重ねて仏の足に礼をし沙門となりたいと言い、仏はこれを許した。
 精進すること勇猛にして勤修やすまなかった。

 仏は阿難に告げた。「この時の比丘阿梨蜜とははるか過去の定光仏であり、王女牟尼は他ならぬこの私である。昔、燈明の布施をしてから無数劫がたち、天上世界で自然に福を受け、身体は他よりもすぐれていた。今、仏となったのはこの諸々の燈明を捧げた果報である」
 ここに聴衆は仏の説く所を聴いて初果から四果を得た。あるいは縁覚となる善根を得た。あるいは無上正真道への志を得た。
 阿難比丘と会衆は、みな共に感動してありがたくうけたまわった。

※牟尼王女が功徳を我が物のように思ったので授記されなかったという話かと思ったら、なんと釈尊になってしまいました!
別のお経では定光仏(燃燈仏)は釈尊の過去世の師匠ということになっていて、龍谷ミュージアムのベゼクリク石窟大回廊には水たまりを進もうとした
定光仏の足下に釈尊の過去世の修行者が髪を投げ出している姿が描かれています。
現実的には、定光仏はお釈迦さんが若い頃の師匠の一人であったとも考えられます。

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