賢愚経巻六 五百盲児往返逐仏縁品(番外の二)

題の意味は「五百人の盲人が、仏を追って行ったり来たりした話」です。

 このようにきいた。
 仏が舎衛国の祇樹給孤独園にいた時、毘舎離(ヴァイシャーリー)国に五百人の盲人がいて乞食をして自活していた。人が「如来が世に出たぞ」と言うのを聞いてはなはだ奇特なことと思った。というのは、見てきた者が、このように伝えたからだ。
「死にかけの者や傷の重く残る者、百病がみな癒えた。盲人は見えるように、聾者は聞こえるように、唖者はしゃべれるように、背中の曲がった人はまっすぐになった。あしなえの足はのび、狂人は正気になった。貧民には衣食を施し、苦厄に悩む者はことごとく免除された」
 盲人たちはこれらのことを聞いてみなで議論した。「私は過去の罪が積もって苦と毒が重なっている。もし仏に会えたら必ずや救済されるだろう」
 そこで、世尊は今何国にいるのかと人にたずねた。舎衛国にいるというので、皆で道ばたに出てへりくだって哀れみを求めた。「どなたかお慈悲を。我らを哀れんで舎衛国まで引っ張っていってください。仏の所に行きたいのです」
 しかし応じる者は誰もおらず、五百人はまた議論した。「お礼もなしでは誰も応じてくれない。みなで乞食に出て、各自金銭一枚を得て案内人を雇おう」
 各々行乞してしばらくして皆が一銭を持ち寄り、全てで五百銭が集まった。左右の人に案内をする者はいないかと呼びかけると案内人をかって出る者がいて、先導し、摩竭(マガダ)国まで来た。すると案内人は盲人たちを沼沢地に放置して行ってしまった。盲人達は、今、どこの何国にいるのかもわからない。互いに手を取り合っていくと田に入り込み、苗や穀物をいためてしまった。
 田を見に来た長者は、五百人が田を踏み荒らして被害が甚大なことに怒り、部下に痛めつけさせようとした。乞食達は哀れみを乞い、いきさつを話した。長者は哀れみ、人をつけて舎衛国まで行かせた。そこで世尊かマガダ国に向かったと知った。盲人たちは喜んで仏を仰ごうとし、心から見たいと願った。肉眼は閉じたままだが、心眼に見て、大喜びしていた。疲れもなくなり、マガダ国へとついた。
 今度は世尊が舎衛国に帰ったと聞いた。また追いかけた。このようにすること七度であった。この時、如来は、盲人たちの善根がすでに熟し、敬信の心が純にして堅固と知り、舎衛国で待った。盲人たちはようやく仏の所についた。仏の光に体が触れると、驚きと喜びが無限に涌いた。たちまち両目は開き、如来を見ることが出来た。比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の四衆がとりまき、身の色は紫金の山のように輝いていた。自然と歓喜があふれた。仏の前に行き、五体投地礼をした。礼がおわると異口同音に仏に言った。「お願いです。道の次第を教えて下さい」
 仏は「「善く来た比丘たちよ」と言い、髭と髮が自然とぬけ落ち、法衣が身にまとわれた。さらに仏が説法をすると、みな阿羅漢となった。

 阿難は盲人たちの肉眼が明浄になり、煩悩がつきて阿羅漢となったのを見て、ひれ伏して合掌して仏に言った。「世尊が世に出たのは、実に奇特なことです。不可思議な善き事です。これらの盲人は特におかげをこうむり、肉眼が明るくなりました。そして慧眼も得ました。世尊は世に出てまさにこれらのことをなさったのです」
仏「私は今日、彼らの冥闇を除いたのではない。はるかな昔、無量劫の過去にもまた大黒闇を除くという同じ事をしたのだ」
阿難「世尊、それはどういう事なのでしょう」
仏「はるかはるか昔、この世界に五百人の商人がいてともに荒野を渡っていた」

 大山の谷にあるけわしい道を進み、そこは漆黒の暗闇であった。商人たちは財物を失うのではないかとまどい憂えた。そこは盗賊が多くそれもまた恐怖となった。皆ともに泣きながら哀れみを求めて、一心に天地日月山海の一切の神祇に祈った。隊商の主は、商人たちが苦しみ悩んでいるのを見て告げた。「怖れてはならない。安心せよ、今、大きな明りをともそう」
 そして自ら白い毛氈を両腕にしばりつけ、油にひたしてかがり火とした。商人たちは七日かけてこの闇を越えた。商人たちはその恩に感謝し、慈しみ敬うこと限りなく、安隠にして自然と喜びが湧いた。

 仏は阿難に告げた。「この時の隊商主がほかならぬ私である。私ははるかな昔から、国・城・妻子・肉血を常に衆生に施してきたのだ。それゆえ今、特に尊くなった。あの時の五百人の商人は、今の五百比丘である。過去世に生死の力で光明をもたらし、今成仏できた。そして無漏慧眼を与えられたのだ」
 会衆は、仏の話を聞いて、初果から四果を得た。あるいは辟支仏や善根の者となり、無上道意を得た。済度された者ははなはだ多かった。 慧命たる阿難と会衆は、仏の説法に歓喜し、おおせをうけたまわったのだった。

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