賢愚経巻第二 宝天因縁品第十一

賢愚経巻第二 宝天因縁品第十一
(宝天の因縁の話)

 このように聞いた。仏が舎衛国の祇樹給孤独園にいた時のこと。長者に男の子が生れた。その時、天が七種の宝を降らし室内に満ちた。占い師に赤子を見させたところ奇特の相だと言い、長者は大喜びした。名はどうしようときくと、占い師は生れたときに奇瑞はなかったかときく。天が七種の宝を降らせたと言うと、占い師はその福徳にちなんで勒那提婆(ロクナデイバ/漢語では宝天)と名付けた。
 子は大きくなって広く才芸にすぐれ、仏が神聖にして奇特なことをきいて渇仰し出家を望んだ。
 父母の元を辞し、仏に出家を願い出て、仏は許可し「善く来た比丘よ」と言った。すると髭と髪は自然に抜け袈裟が身にまとわれ沙門となった。
 仏は説法して宝天は羅漢となった。
 阿難は世尊にたずねた。「宝天比丘は何の福があって、生れた時に神々が宝を降らせ、衣食に満ち足りたのでしょう」
仏「過去に毘婆尸(ビバシ)仏がいて無数の衆生を済度した。衆僧は村落に遊行した。その村には居士らがいてともに衆僧を招いて供養した。その時に貧者がいて家に財宝や供養のためのものがなく、白い玉石をひとつかみ衆僧に散らして願をたてた。その時の貧者が今の宝天比丘である。
 過去に信じ敬う心で白石をまいたから九十一劫たって無量の福を得て財宝に恵まれ衣食に欠くことがなくなったのだ。信じ敬う心の縁によって今世で私に会え、道果を得られたのだ」
 聴衆は皆、仏の説く所に信心がうまれ、初果から四果までを得た。また不退転の心を得て、歓喜し承った。

※白石は道に敷いたのでしょう。衆僧に投げつけてはいけませんよ。

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