賢愚経巻十 阿難総持品第三十八

 このように聞いた。
 仏が舎衛国の祇樹給孤独園にいた時、比丘たちがみな、賢者阿難は元々どんな修行をして仏の話を一言も失わぬような記憶力を得たのかといぶかった。そこでそのことを仏にたずねた。
仏「比丘たちよ、よく聴き心にとどめるのです」

 はるかはるか昔、一人の比丘がいて、一人の沙弥を養っていた。常に厳しく読経をさせ、日々の日程をさせた。 きちんとできれば喜び、できなければ折檻した。沙弥はいつも懊悩し、読経もままならず食事にも日用具にも事欠いた。もし乞食に行けば、食べる時に病気になり、読経をきちんとすれば乞食が遅くなる。規定通りにきっちりできない。そして折檻される。悩み嘆く日々だった。
 長者が沙弥の泣くのを見て何に悩んでいるのかをたずねた。沙弥がかくかくしかじかと語ると、長者は言った。「今からずっと我が家に来なさい。飲食を供養するから悩みはなくなるだろう。食事を終えたら読経に専心なさい」
 そこで読経と学問に専心できるようになった。日課は減らず、日々は平穏に過ごせる。師弟共に喜んだ。

 仏は比丘に告げた。「この時の師が今の定光仏で、沙弥が今の私だ。食を供養してくれた大長者が今の阿難である。つまり過去の行いのゆえに総持(よく記憶して忘れないこと)ができ、忘れることがないのだ」
 比丘たちはこれを聞いて喜び、おおせをうけたまわったのだった。

※定光仏は過去七仏の一人で燃灯仏とも言います。お釈迦さんの修行時代の師匠の一人と考えられます。

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