苦(dukkha)とは何か

生老病死のお話の続きです。
私は、漢訳仏典の「苦」という字を、原義に沿って「不如意」ととると理解しやすいという事に気づきました。(もちろん、漢字の苦の「苦しい」「つらい」という意味で取った方がわかりやすい場面もあります。)

 悟りを得た釈尊(※人の身でありつつ神聖化されたお釈迦さんの時は、釈尊と呼ぶことにします)は、バーラーナシーに行って、沙門になった時に一緒に修行した五人の比丘に法を説き、阿羅漢にします。そして、バーラーナシーの大商人の子ヤサと出会い、法を説いてその悩みを解きます。ヤサの家族は優婆塞・優婆夷(男女の在家信者)となります。
 裕福な商人の子であるヤサの四人の友達も出家します。さらにその噂を聞いた五十人の富裕な商人の息子たちが出家し、みな阿羅漢となります。
 お釈迦さんは、若者の間で大ブームの宗教家という感じですね。
 さて、お釈迦さんはしばらくするとバーラーナシーからウルヴェーラーへと移ります。そこの深い木立の下で瞑想をしていると、地位ある若者たち三十人が妻をつれて遊びに来ました。そのうち一人は妻がいなかったので娼婦を連れてきました。要するにいけないパーティーです。
 娼婦が金を取って逃げたので皆で探して、たまたま出会った釈尊に「女を見たか」とたずねます。
 釈尊が「どんな用があるのか」とたずねると、若者たちはかくかくしかじかと答えます。
 釈尊は言います。「若者たちよ、女を探し求めることと、自己を探し求めることのどちらが大事か」
「自己を探し求めることです」
 そこで釈尊は説法をはじめます。
 彼らの心が整い澄み切ったのを見て「諸仏の最勝法説である、苦集滅道」を説きます。これを聞いて三十人の若者たちは出家します。
(以上、パーリ律大品より)

「苦集滅道」とは「四聖諦」のことです。
苦諦……人生は苦であると見極めよう
集諦……苦の事例を集め「起源」「原因」について分析しよう
滅諦……苦を制御しよう
道諦……解脱への道を歩もう

 さて、釈尊に帰依した人たちは、みな裕福な商人の一族です。
「人生は苦しい、つらいよ」と言われて、森の中で遊んでいるパリピの心に響くでしょうか。「はいはい、修行者さんはつらいよね」でおしまいです。これが貧困のどん底にある人になら共感されるかもしれませんが。
 では、「人生は不如意である」ならどうでしょう。「楽しいパーティーも、お開きになったら虚しいよね。こんなはずじゃなかった、て嫌なことが起きたりするよね。どうしてずっとハッピーじゃいられないんだろう。そういう事を考えてみようじゃないか」
 こういう感じで話されたんじゃなしいかな、と思います。

「普段は目をそむけている『生れによる不自由さ、避けられない老化、健康でもいつかはかかる病気、最後には誰もが逃れえない死』についてしっかり考えてみよう。人生には、愛する者と別れざるを得ないことはあるし、憎む者と会わなければいけないこともあるし、求めても得られないこともある。まとめて言うと僕らは生きている限り色んな事が思い通りにならないじゃないか。(四苦八苦)
 じゃあ、そのいらいらやつらさを少しでも減らすにはどうすればいいんだろう。そんな話をするよ」

……で、普通は、八正道(正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定)が続くのてすが、これがどうにも回りくどい。若者たち、たぶん逃げます。もっとバシッと本質に切り込んだ話をされたんじゃないかと思います。その話は次回に。


 


 
 


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