長阿含経巻第六 転輪聖王修行経

仏説長阿含 第二分 転輪聖王修行経第二
 このように聞いた。仏が千二百五十人の比丘とともに摩羅醯(マケイラ?)国で人をさがして遊行していたときのこと。
しばらくして摩楼(マートゥラー)国についた。
 この時、世尊は比丘たちに告げた。
「そなたらはまさに自を灯火とし、法を灯火とし、他のものを灯火とすべきではない。自らに帰依し、法に帰依し、他に帰依してはならない。
 どのような比丘を、自らを灯火にし法を灯火とし他を灯火としないと言うのか。まさに自らに帰依し法に帰依し他に帰依しない者である。
 そうすれば、比丘は自らの内身を観て精勤しなまけず、憶念して忘れない。世の憂いのつきないありさまを除くのだ。外身を観て、内外の身を観て、精勤してなまけず、意識することを忘れない。
世の憂いをむさぼることを除くことを忘れず、意識して法を観ることまたかくのごとし。
 これを、比丘の『自熾燃熾燃法』と言う。他を灯火としてはならない。自らに帰依し法に帰依し他に帰依してはならない。
そのような行者は、魔も焼けない。功徳は日に増す。どうしてか。

「自灯明・法灯明」に加えて「不他灯明」がセットになっています。他に帰依してはいけないというのです。
今の日本の通仏教とは大いに異なるところです。

 はるか昔、久遠の過去世に堅固念という王がいた。クシャトリヤで灌頂を受けうる種族で、転輪聖王となって四天下を領有した。
 王は法によって治め教化すること自在であった。
 そして、特にすぐれた七つの宝を持っていた。
 一、金輪宝。二、白象宝。三、紺馬宝。四、神珠宝。五、玉女宝。六、居士宝。七、主兵宝。
 千人の子がいて、勇健にして雄猛で、よく怨敵をくだした。武器を用いずとも、自然と太平であった。
 堅固念王の長い治世がおわった。
 すると、金輪宝は虚空を飛びたちまち離れていった。
 輪宝の担当者は急いで王に伝えた。
「大王、今、輪宝が離れていきました」
堅固念王「私はかつて古老から聞いたことがある。転輪聖王の輪宝が移るのは、王の寿命がいくばくもないときだ。わたしはすでに人としての福楽は受けた。今度は天の福楽を得るときなのだ。太子を立てて四天下をおさめしめ、別に村をひとつ理髪師に与えよう。鬚髪を捨て、三法衣を着て出家・修道に入ろう」
 堅固念王は太子に命じた。
「そなたは知っているだろうか。私は古老からかくかくしかじかと聞いている。今、道のために出家し、四天下はそなたにゆだねよう。よく努力して民をたすけてやれ」
 太子は王の教えを受け、堅固念王は出家した。

 王の出家から七日が過ぎた。しかし金輪宝は現れなかった。輪宝の担当者は王に言った。
「大王、輪宝は現れません」
 王は不愉快になり、堅固念王の所に行って輪宝が現れないと言った。
「憂えたり不愉快になってはならない。この金輪宝は父が産み出した物ではないのだ。そなたは聖王の正法を行え。十五日の満月の時、香湯で沐浴し采女に囲ませて正法殿の上にのぼるのだ。金輪神宝は自然と現れるだろう。
輪には千本の輻(や。スポークのこと)があり、光がそなわっている。天の匠が造ったもので、この世のものではない」
「転輪聖王の正法とは何でしょう。何を行うべきでしょう」
「法により法を立て法を身にそなえることだ。法を観察し、恭しく敬い尊重することだ。法を第一に正法を守護することだ。法をもって采女を教誨することだ。法によって諸王子、大臣、群寮百官、諸人民を見守り教誡することだ。沙門、バラモン、下は禽獣にいたるまで、みな見守るのだ」
 また子に告げた。
「そなたの国土にいる沙門、バラモンは、修行し清真の功徳を具足している者がいる。
 精進して怠けず、憍慢を離れている。忍辱、仁愛あって、独居して自ら修行している。独り自ら止息して独り涅槃に至っている。自ら貪欲を除きそれを教えている。自ら瞋恚を除きそれを教えている。自ら愚痴を除きそれを教えている。
 煩悩の中にあって染まらず、悪の中にあって悪にならず、愚かの中にあて愚かにならず。執着の中にあって執着せず、安住の中にあって安住せず。居つづける中にあって居つづけず。身行は質朴にして正直。口に質朴・正直を言い、そのことを思う。身行は清浄にして言は清浄、意には清浄を思う。正しく清浄をおもい仁慧をいとわない。衣食は足るを知る。鉢を持って乞食し衆生に福を与える。
 このような人がいれば、そなたはしばしば詣でて質問すればよい。修行する上で、何が善で何が悪か。何を犯と言い何を犯でないと言うのか。何者に親しむべきで何者には親しむべきでないか。何をすべきで何をすべきでないか。どんな法を行うことで長い夜に楽を受けるのか。
 たずね終えたらよく観察するのだ。やるべきことをやり捨てるべきことを捨てるのだ。
 国に孤独な老人あればこれを救い、貧窮の者が来れば物を取らせよ。慎んで違背することなかれ。
 国には旧法あり、改易してはならぬ。これが転輪聖王の修行法だ。そなた、まさにうけたまわれ」

 仏は比丘たちに告げた。
「時の転輪聖王は父の教えを受けてその通りに修行した。その後、十五日の満月の時、香湯で沐浴し高殿にのぼって采女に囲ませた。
 自然と輪宝がその前に現れた。輪には千の輻があり輝いていた。天の匠が造った物でこの世の物ではなかった。真金でできた輪の直径は一丈四尺であった」

 この時、転輪王は思った。
「かつて古老から聞いた。もしクシャトリヤの王で灌頂を受けられる種族がこのようにすれば自然と金輪が現れると。だから転輪聖王と言うのだと。今、この宝輪は言い伝えの通りではない。余は今、この宝輪を試そう」
 転輪王は四種の軍隊※を召して、金輪宝に向けて右肩を出し右膝を地につけ、右手で金輪をなでて言った。

※四兵。平河出版社『 現代語訳「阿含経典」』の註によれば「古代インドの四種の軍隊。象隊・騎馬隊・戦車隊・歩兵隊をいう」とある。

「そなた、法のごとく東方にころがって行け。普通の車のように」
 輪は東に転がった。
 王は四軍を率いてその後につていった。
 金輪宝の前には四柱の神がいて導いた。
 輪が止まった所で王も駕籠を止めた。

 この時、東方の小国王たちが大王の至ったのを見て、金鉢に銀の粟、銀鉢に金の粟を持ってあらわれ、王のもとにおもむいて頭をさげて言った。
「善く来られました、大王。今、この東方の土地は豊かで楽しく、人民は輝いております。性質はおおだやかで慈孝にして忠順。願わくば聖王、この治を正したまえ。我等はまさにその通りにいたしましょう」
転輪大王「よせよせ諸賢よ。汝等はすでに余に供養した。但し正法をもって治め、歪めてはならぬぞ。国内で非法の行いをなさせてはならぬ。そうすれば我が治める所と名乗れるであろう」
 小王たちはこの教えを聞き、大王の巡行に従って東海の海岸に出た。次に南方、西方、北方と、輪が行く所に行った。
 諸国の王は各々国土を献上した。
 転輪王は金輪に従って四海をあまねく巡った。道によって教化し、民を安んじて本国に還った。
 金輪宝は宮門の上の虚空にとどまった。
 転輪王は踊躍して言った。
「この金輪宝は余のために奇瑞を見せた。余はまことの転輪聖王である。これは金輪宝がなしとげたことだ」
 その王の長い治世がおわり、金輪宝は虚空からたちまち離れた。
 輪の管理者は急いで王のところに行って告げた。
「大王、今、輪宝は元いたところを離れました」
 王は思った。
〈余はかつて古老から聞いた。もし転輪聖王の輪宝が移れば、王の寿命はいくばくもない、と。今まで人としての福楽を受けてきた。天の福楽を得るてだてをなそう。太子を立てて四天下を所領とし、別に一村を理髪師に与えて鬚髪を剃ってもらおう。三法衣を着て出家し、修道するのだ〉
 そこで王は太子に命じて言った。
「かくかくしかじかで余の寿命はいくばくもない。今、出家・修道して四天下はそなたにゆだねようと思う。よく力をつくして民のためになるのだ」
 太子は王の教えを受けた。
 王は出家し、七日がたった。
 金輪宝はいまだ現れなかった。
 金輪の管理者は王に言った。
「大王、輪宝は忽然として消えたままです」
 王はこれを聞いても憂えなかった。父王の意見を聞きにもいかなかった。
 その時、父王は忽然として命を終えた。
 これ以前の六人の転輪王は皆、代々相承して正法によって治めてきた。
 ただこの王だけは自分のやり方で国を治め、旧法を受け継がなかった。その政治は不公平で、天下は怨嗟の声に満ちていた。
 国土は減り民は凋落した。
 一人のバラモンの大臣がいて王に言った。
「大王、今、国土は減り民は凋落して落ち着いていられません。王よ、国内には多くの知識人がいます。聡明にして智慧があり、諸事・古今に通じています。先王の治政の法についても知っています。集めて問えば知っていることを答えるでしょう」
 そこで王は群臣を召して先王の治政の道についてたずねた。
 智慧ある臣下たちはつぶさに答えた。王はそれを聞いてすぐに昔の法による護世の政治にかえった。
 しかし、孤独な老人や貧窮の者は救えなかった。民は貧困にあって、互いに奪いあい盗賊のみがうるおっていた。
 警察(※原文は「伺察」)が盗賊をつかまえて王の所に連れて行って言った。
「こやつは賊です。願わくば王の裁定を」
王「そなたは本当に賊なのか」
賊「私は貧窮から飢餓におちいり、生きられずに賊になりました」
 そこで王は倉庫の物をこれに与えた。
王「これを父母と親族に与えて養うのだ。これより二度と盗んではならぬ」
 他の人が、賊に王が財宝を与えたと聞いて他人の物を強奪した。
 また警察がつかまえて王の所に連れて行き、同じ事になった。また別の人が聞いて強奪し、王のもとに連れてこられた。
 王は思った。
〈先に賊だった者は財宝を与えると賊をやめた。別の者にも効果があった。盗賊は日々あいついでやまない。今はむしろ手かせをして巷にさらそう。その後、城の外の荒野で死刑にして後の人のいましめにしよう〉
 王は左右の者に命じて盗賊をしばり、太鼓とともにふれて巷を引き回し城の外の荒野で死刑にした。
 国中の人はみなこれを知り、異口同音に言った。
「我等がもし賊になったら同じ扱いを受けるだろう」
 そこで人々は自衛のため刀剣や弓矢の武器を作った。交互に殺し合って強奪した。この王以来、貧窮の者ができた。
 貧窮あって盗みがある。盗みがあって武器がある。武器があって殺害がある。殺害すると顔色は憔悴し寿命がいよいよ短くなる。
 この時の人の寿命は四万歳だった。その後どんどん少なくなり二万歳になった。
 衆生には寿命通りの者と夭折した者がいた。生活の苦しい者、楽な者がいた。苦しい者は邪婬と貪心を起こし、いろいろな手立てで他の物を奪おうとはかった。
 この時の人々は、貧窮によって盗みをした。武器で殺しそれが増えた。人の命は一万歳まで減った。
 一万歳の人もまた盗みをした。警察につかまって王の所に引き連れてこられた。
「こやつは賊です。願わくば王の裁定を」
王「そなたは本当に賊なのか」
賊「私はやっていません。民衆の中に故意に嘘を流した者がいるのです」

 民衆は貧窮の故に強盗をする。そこで武器を持つ。武器を持っていれば殺害する。殺害すると、貪り取り邪婬をする。貪り取り邪婬をすると嘘をつく。嘘をつくとその寿命はだんだん減って千歳になった。
 千歳の時に口の三悪行がはじめて世に出た。
 一、両舌。二、悪口。三、綺語。この三悪業はどんどん盛んになった。人の寿命も減って五百歳になった。
 五百歳の時、衆生に三悪行が起きた。
 一、非法の婬。二、非法の貪り。三、邪見。この三悪業はどんどん盛んになった。人の寿命も減って三百、二百になった。
 私のような今の人は百歳になる者はまれで多くは寿命が減っている。このようにいつも悪をなしてやめないからだ。
 その寿命は減ってやがて十歳になるだろう。
 十歳の時の人は、女は生れて五ヶ月で嫁に行く。
 世間では、酥油、石蜜、黒石蜜等の甘みは名もなくなる。うるち米や稲は雑草に変化した。絹、錦、綾、カポク繊維、白毛㲲は、今の時代には名としてあるが、この時には現れておらず、粗い毛を織ったものを上等の衣としていた。
 地には多くのトゲあるイバラが生え、蚊、虻、蠅、虱、蛇、イモリ、蜂、蛆といった毒虫があまたいた。
 金、銀、瑠璃、珠といった名宝はみな地に埋もれていて、石や砂といった瓦礫が地上に出ていた。
 当時の衆生の類は十善の名を全く聞いたことがなかった。ただ十悪のみが世間に充満していた。
 この時まだ善法の名がなかったのに、その人はどうして善行を行ったのか。
 この時の衆生は極悪で、父母に孝せず師長を敬わず、不忠不義にして、かえって無道な者が尊敬されていた。今の善行を修める者が、父母に孝養し師長に敬順で、忠信にして義を思い、尊敬されるのと同じように。
 この時の衆生は多くが十悪を行い、多くが悪い世界に堕ちていった。
 衆生は会うといつも殺しあうことを思った。猟師が鹿の群れを見たときのように。
 土地には多くの溝や穴があり、渓谷は深く土地は荒れて、たまに行き来する人には恐怖しかなかった。
 そして、刀兵による害が起きた。手に草木を持つとみな戈や鉾になった。
 七日の間、相殺しあった。

※お経って、こんな『北斗の拳』みたいな世界も描いているのですね。

 智者は遠く叢林に逃げて洞窟に隠れた。七日の間は恐怖して、慈善の心がおきて言った。
「そなたは私を殺してはならない。私はそなたを殺さない。草木を食べて生命を保とう」
 七日がおわり山林から出た。生存者は互いに相見て喜び、慶賀して言った。
「そなたは死んでいなかったのか、そなたは死んでいなかったのか」
 それは唯一の子がいる父母が久しく別れていて子と相会って喜びが無限であるようだった。
 彼らは歓喜し慶賀しあってからたがいの家を訪れた。その家の親族で死亡した者を七日にわたって悲しみ泣号した。
 慟哭の七日がすぎると、また七日、喜び合った。
 そして思った。
「われらが悪を積み重ねて荒廃は増えていった。そして親族の死亡という難にあった。家族が没した。今、少しでも共に善を行おう。善を行って殺生をしないでおこう」
 この時、衆生は慈心をつくして殺さないようにした。すると衆生の姿はよくなり寿命は増した。
 十歳の寿命は二十歳になった。
 二十歳の時、人はまた思った。
「我等は少しの修善で殺し合わなくなった。それで寿命が二十歳になったのだ。今少しの善でさらに増えるだろう。
どんな善をしよう。すでに不殺生はしたから、不窃盗をしよう」
 盗まずにいると寿命は四十歳まで延びた。
 寿命が四十歳の時、人はまた思った。
「我らは少しの修善で寿命が延びた。今少し善を増やそう。どんな善をすべきだろう。不邪婬にしよう」
 そこでその人は不邪婬につとめた。すると寿命は八十歳になった。
 八十歳の人はまた思った。
「我らは少しの修善で寿命が延びた。今少し善を増やそう。どんな善をすべきだろう。不妄語にしよう」
そこでその人は不妄語につとめた。寿命は百六十歳まで延びた。
 百六十歳の時、人は同様に不両舌につとめた。すると寿命は三百二十歳になった。
 三百二十歳の時、同様に不悪口につとめ、寿命は六百四十歳になった。
 六百四十歳の時。同様に不綺語につとめ、寿命は二千歳になった。
 二千歳の時、不慳貪につとめ、布施を行った。寿命は五千歳になった。
 五千歳の時、不嫉妬と慈心と修善につとめ、寿命は一万歳になった。
 一万歳の時、正見につとめ、顛倒(間違った考え)が生じなくなった。寿命は二万歳になった。
 二万歳の時、三不善を滅するようにした。一つは非法の婬、二は非法の貪り、三は邪見である。
この三不善を滅して寿命は四万歳になった。
 四万歳の時、父母への孝養と師長に敬いつかえることをした。寿命は八万歳になった。
 寿命が八万歳の時、娘は五百歳になってはじめて嫁に行くようになった。
 その時の人には九種のなやみがあった。
 一、寒さ。二、熱さ。三、飢え。四、渇き。五、大便。六、小便。七、欲。八、饕餮※。九、老い。

※饕餮……財産や食物をむさぼること。

 大地は平らかで整い、溝や穴、丘や廃墟、棘あるイバラなどはなかった。蚊や虻、蛇やマムシ、毒虫はいなかった。
 瓦礫や沙礫はラピスラズリになった。民は輝き、五穀はみのり値段は安く、楽しさ極まりなかった。
 当時、八万の大城ができた。村と城は鶏の鳴き声が聞こえる距離だった。
 当時も仏が世に出た。名を弥勒如来と言う。
 至真、等正覚、といった十号を満たし、今の如来が十号を具足するのと同じである。
 彼は、もろもろの神々や帝釈天、魔族、各天にいる沙門、バラモンたちの中で自身で証をなした。それは私、釈迦仏と同じ事である。
 彼が説法した初めての言葉もまた、善中の下なるものもまた善であること、義味がそなわり、梵行を浄修することであった。
 それもまた私が今日、説法するのと同じだ。
 上中下の言もまたみな真正で、義味がそなわり、梵行を浄修することであった。
 彼の弟子は数千万、我が今日の弟子は数百。
 民は弥勒如来の弟子を「慈子」と号した。我が弟子を「釈子」と号するように。
 その時に儴伽(ńźjang gja/ニャンギア)という王がいた。クシャトリヤで、潅頂を受けられる種族である。
 転輪聖王として四天下の正法をつかさどり、非道のないように治めた。
 七つの宝がそろっていた。
一、金輪宝。二、白象宝。三、紺馬宝。四、神珠宝。五、玉女宝。六、居士宝。七、主兵宝。
 である。
 王には千人の子がいて、勇猛にして雄烈、よく外敵をしりぞけた。
 四方の国は敬順して戦を仕掛けず、自然と太平になった。
 時の聖王は大宝幢※を建てた。周囲十六尋、高さ千尋。千種のさまざまな色でその幢をおごそかに飾った。

※……円筒形の旗。鯉のぼりが垂れた感じの美麗な飾りが今に伝承されている。「大宝幢」でググると出てくる。
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幢には百の觚※があり、觚には百の枝があった。

※觚……祭祀用の飲酒器(カップ)。
觚 文化遺産オンライン (nii.ac.jp)

 宝幢は色とりどりの糸で宝をつらねていた。
 聖王は宝幢を壊すと沙門・バラモン・国中の貧者に分け与えた。そののち鬚と髪をそり落とし、三法衣を着て無上行の出家・修道をはじめた。現世で自身のなしたことの証を得るためだ。
 生死が尽きるとともに梵行も完成した。なすべきことは全て終え、もはや受けるものは残っていなかった。

 仏は比丘たちに告げた。
「そなたら、よく修善の行をおさめよ。修善の行によって寿命は延び顔色はよくなり安隠・快楽は増す。財宝は豊かに、威力がそなわる。諸王が転輪聖王の旧法に従ったときのように、比丘もまたそうなるのだ。
 比丘の寿命が延びるとはどういうことか。このような比丘は修習の意欲が定まり精勤して怠けない。煩悩を滅する行が成っても神足通に精進し、意定まり思惟定まり精勤して怠けないのだ。それゆえ寿命が延びる。
 比丘の顔色がよくなるとはどういうことか。このような比丘は、戒律がそなわって威儀がある。小さな罪を見ても大きな畏れをいだく。同じく戒を学んでも、悉く身に備わっているのだ。このような比丘は顔色がよくなる。
 比丘の安隠・快楽とは何を言うのか。比丘は婬欲を断ち不善を去る。覚りと観察によって日常から離れることで喜びと楽しみを得るのだ。このようにして第一禅を行う。
 覚りと観察をとりのぞいて、内なる信によって歓喜が生じ、心をとりしまることをもっぱらにする。無覚無観の定が喜楽を生ず。このようにして第二禅を行う。
 喜びを捨て専心を守って乱さず、自ら賢聖が求める身の楽を知り、楽をまもる。このようにして行第三禅を行う。
 苦楽を捨て、憂いや喜びをとりのぞいて苦楽のない状態になり、心を守って清浄である。このようにして第四禅を行う。
 これが比丘の安隠と快楽である。
 比丘の財宝が豊かであるとはどういうことか。比丘は慈心を修習して一方向にあまねく満たし、その他の方向にも同様にする。周くいきわたって無二にして無量であり、みなのこりかたまった恨みを除き、心に嫉妬の悪をなくさせる。静かに黙って慈しみのやわらぎにあり、自らの楽しみとする。悲心や喜捨の心についても同様である。これを、比丘の財宝が豊かであると言う。
 比丘が威力をそなえているとはどういうことか。ここにおいて比丘は、苦聖諦を如実に知り、習尽道の各諦についても如実に知る。これを比丘が威力をそなえていると言う。

 仏は比丘に告げた。
「私が今、力ある者たちを見渡すに、魔の力をすぎた者はいない。しかして、煩悩がつきた比丘の力は魔に勝つ」
 この時、比丘たちは仏の説くことを聞いて歓喜し、おおせをうけたまわったのだった。
『仏説長阿含経』巻第六、おしまい。

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