賢愚経巻第五 金天品第二十七

 このように聞いた。
 仏が舎衛国の祇樹給孤独園にいたとき、一人の長者がいた。その家の富は大きく、財宝は無数であった。 一人の男児が生れた。体が金色で、長者は大いに喜び布施の会を開き、いろいろな占い師を集めて吉凶を見させた。
 占い師は皆赤子を抱いてその顔が美しかったので喜びにたえず、修越耶(シュエツヤデーバ)という名をつけた。晋語(漢語)では金天(金色の神)の意味である。
 この子は福徳あつく出生の日には自然に井戸水が涌いた。縦横深さは八尺で、その水を汲むと望む物が現れた。衣を願えば衣が、食を願えば食が、金銀珍宝でも一切の願うところの物が出てきた。子は大きくなり才能豊かで、長者はこれを愛し望むがままにさせていた。そして思った。
〈我が子は端正にして容貌はたぐいない。姿形のことに優れたみめよい嫁をとらせたいものだ。我が子のような者は探し求めるほかにあるまい〉
 そこで商人たちを集め周辺諸国に嫁を求めさせた。時に閻波(エンパ)国に大長者がいて一人の娘がいた。名を脩跋那婆蘇(シュバッナバソ)という。晋語(漢語)では金光明の意味だ。端正にして非凡、体は金色で、光り輝いて人を照らすほどつやつやだった。生れた日に自然と八尺の井戸水が湧いた。その井戸からも種種の珍宝が出てきて衣服飲食、願うままの物が出てきた。その長者もまた、娘につり合った素晴しい賢士と結婚させたいものだと思っていた。その娘の名は遠く舎衛国にとどき、金天の名もまた娘の家に聞こえていた。二長者はおのおの喜んで思った。互いにあい詣でて婚姻をしようと。
 結婚の儀はおわり、娘は舎衛国についた。金天の家では仏と僧を招いて一日供養をした。仏は招待に応じ、食事を終えて鉢をおさめ、長者と金天夫妻に広く妙なる法を説き、その心をときほぐした。金天夫妻とその父母は、それによって二十億の積年の悪を浄め、心がほがらかになり、須陀洹果(初果)を得た。
 世尊は精舎に帰った。金天と金光明の夫妻は父母に出家の道を求めることを願い出た。父母はすぐにそれを許し、仏の所にともに行き、仏の足元にひざまづいいてから周りを回って礼をした。そして出家を願うと許可され、仏は「よく来た比丘よ」と賞賛して言った。すると髭や髪は自ずと落ち、法衣が身にまとわれ、沙門となった。金天は比丘衆につけられ、金光明は比丘尼の大愛道ことマハー・プラジャーパティーにつけられた。ゆっくりと教化がなされ、羅漢となった。三明六通、八解脱、一切の功徳がそなわった。

 阿難は仏にたずねた。「金天夫妻はそもそも何をしたがゆえに、生れて以来財宝多く体は金色で、比類なく端正、井戸からは一切の物が出たのですか。如来よ、願わくば示したまえ」
仏「九十一劫の過去に毘鉢尸(ビバシ)という仏がいた。すでに入滅したが法は世に残り諸比丘がいて遊行・教化した。
 ある村にたくさんの豪賢の長者がおり、競って僧たちに飲食衣服を供養して不足のないようにした。時に貧困にあえぐ夫妻二人がいていつも思っていた。
〈父がいた時は財宝が山のようにあり富は測れないほどだった。今、我が身は貧困を極め草のむしろに寝ている。衣はぼろぼろ、家には桝も柄杓もない。なぜこんなに苦しまなくてはならないのだ。富・財宝が限りなくあったときには彼らのような聖衆には出会えず、銭がなく供養できない今になって出会うとは〉
 こう思うと懊惱して涙が流れ泣くのだった。それが妻の腕にあたり、妻は夫の涙を見てたずねた。「何かいやなことがあったのですか。こんなに悩むとは」
「知っているだろう。今、衆僧がこの村を訪れている。豪賢の居士はみな供養をしている。我が家は貧乏なので何も布施出来ない。この衆僧は善縁の種とはならないのだ。今、貧困ならば、来世はもっとひどい事になるだろう。そう思って泣いていたのだ」
「今まさにどうするかです。供養したいのに財宝はない、空しく思いがあるだけでその願いを遂げられない。実家に行って財宝を探してはいかがでしょう。何かあれば供養すればいいのです」
 そこで夫はその通りにして、古い蔵の中を探し回り一枚の金銭を見つけて持ち帰った。妻は持っていた鏡をあわせて一緒に布施とした。新しい瓶に浄水を入れ、この金銭を瓶に添えて鏡で蓋をして僧の所に持ち至った。衆僧はこれを受け、手を洗い、鉢を洗い、水を飲んだ。夫婦は喜び、福の種をなしおえ、そののち病で亡くなり忉利天に生れかわった。

 仏は阿難に言った。「この時の貧しい夫婦が今の金天夫婦である。前世にこの一枚の金銭と一瓶の水と鏡を衆僧に布施したため、世々端正にして身体は金色となったのだ。容姿は光り輝き比べるものがなく、九十一劫常にそうであった。この時の信敬のゆえに生死を離れ悟りを得られたのだ。阿難よ、まさに知るべし。一切の福徳は作れないということはないのだ。彼のような貧人は、施しが少なくとも無量の福の報いを得られるのだ」
 この時、阿難と会衆は仏の説く所を聞いてみな布施の心を起こし福業を加えようと考え、仰せの通りにしたのだった。




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