賢愚経巻第五 沙弥守戒自殺品第二十三

※これは、戒を守るために沙弥(少年僧)が自殺したという話です。訳者の立場としては、戒(シーラ/良き習慣)を守るために自らの命を捨てるのは本末転倒です。戒はあくまでも如来という理想的人格にに近づくための手段であって、得がたき人身を自ら捨てるのは愚かなことだと思います。

 このように聞いた。
 仏が安陀国にいた時のこと。世尊は持戒の人を念入りに讃歎した。
「禁戒を護持しなさい。身命を捨ててでも毀犯してはならない。なぜなら戒は道に入る最初だからだ。煩悩がつきた妙趣、涅槃安楽への道なのだ。もし浄戒をたもてばその功徳は限りない。大海が限りないように、戒もまた限りがない。大海には阿修羅、黿亀、水性の摩竭魚らの衆生がいる。戒の海もまたそのようなものだ。多くの三乗の大衆がそこに生きている。大海には多くの金銀・琉璃等の宝がある。戒の海もまた多くの善法を出す。四非常(無常・苦・空・無我)、三十七品(涅槃に至る三十七の道程と課題)、諸禅三昧等の宝である。
 大海は金剛(ダイヤモンド)を底とし、金剛山に囲まれている。四つの大河がそこに流れ込んでいるが、海は増えもせず減りもしない。戒の海もまた毘尼(Vinaya/律)を底とし、アビダルマ(思想体系)を山として囲んでいる。四阿含(長阿含経・中阿含経・増一阿含経・雑阿含経の河が流入してたたえられ、増えもせず減りもしない。下は阿鼻地獄の火が上の大海をつきあげ、海水は消え涸れる。それゆえ増えないし常に流入しているから減らない。 仏法の戒の海は、不放逸ゆえに増えず功徳をそなえていて減らないのだ。 これゆえまさに知るべし。よく持戒する者は、その徳はなはだ多い」

※一見して他の説話系の話とは異なる書き出しです。違和感があります。

 仏が涅槃に入った後、安陀国に一人の乞食(こつじき)する比丘がいて、ひとり静かな処の生活を楽しんだ。威儀がそなわった孤独な乞食比丘は仏が讃歎するところである。何故かというと、乞食比丘は少欲知足の生活で、金儲けをせず畜財をしないからだ。 日々乞食し、敷物をしいて露天に坐り、一食三衣ですごす。このようであれば僧伽にいる比丘よりも尊ばれるのである。 多欲にして見境なく蓄財をすれば、貪心から吝嗇となり、嫉妬し愛著を抱くようになる。それ故、大きな名をあげることはできない。
 その乞食比丘は、徳行そなわり沙門果を得ていた。六神通力に宿命明、天眼明、漏尽明の三明を得て、八解脱(八段階の解脱)に生き、威儀は皆の手本となり、名は広く聞こえていた。
 さて、安陀国には三宝を敬い信じる優婆塞がいた。五戒の不殺・不盗・不邪婬・不妄語・不飲酒を守り、布施をして徳をやしない、 名は国中に知られていた。かの乞食比丘を終身にわたって供養し、供養の福を因として果報を得たいとお願いした。もし僧たちに家と供養を与えれば、修行の妨げとなる。道路の寒暑の労苦は、果報を手に入れるために必要な思慮の時間なのだ。 修行によって求めることで得られるのだ。もし供養をすれば、福報を受ける時、座して労せず受け取ることになる。優婆塞は信心篤く種々の色と香りの美食を用意し、毎日人をやって乞食比丘に送らせた。
 沙門には四種の好悪難明がある。マンゴーの果実は生か熟しているかは知りがたい。
 ある比丘は、威儀は手本となりおもむろに行動し要諦を得ているように見える。しかし内には貪欲・瞋恚・愚痴をいだき破戒し法にかなわない。 マンゴーで言えば外は熟し内は生な物のようだ。
 ある比丘は、ふるまいは荒々しく儀式には沿っていない。しかし、内には沙門の徳行と禅定の智慧を備えている。 マンゴーで言えば内は熟し外は生な物のようだ。
 ある比丘は、威儀は粗雑で、戒を破り悪をなす。内にもまた貪欲・瞋恚・愚痴・慳貪・嫉妬をいだいている。 マンゴーで言えば内外ともに生な物のようだ。
 ある比丘は、威儀は手本となり、持戒し自らを守る。内には沙門の徳行・戒定慧・解脱を保つ。マンゴーで言えば内外ともに熟している物のようだ。

 その乞食比丘は、内外ともに備わり、徳行円満の故に、人に敬われていた。
 さて、一人の長者がいて三宝を信じ敬っていた。 一人の男児がいて、これを出家させ、善い師に託そうと思っていた。そうすれば、善知識の近くで善法を増せる。悪知識の近くでは悪法が起きる。たとえるなら、風性は空であるが、 栴壇の林や瞻蔔(せんふく。champaka/クチナシと訳される)の林を吹きぬければ風はよい香りとなる。 もし糞や屍体をぬけて来れば、その風は便の臭いとなる。また、浄衣を香篋に入れて衣を出せばよい香りとなる。もし臭い処に置けば臭くなる。
〈善友に親しめば善は日に増し、悪友に親しめば悪は増長する。だから私は今、この子を尊者に与えて出家させるのだ〉
 思い定まり、比丘のところに行って言った。
「私はこの子を出家させたいのです。願わくば大徳、哀れみもて納め、済度したまえ。もしお受けいただけないのなら、連れて家に帰ります」
 比丘は道眼をもって見、この子は出家すればよく浄戒をたもち仏法を盛んにすると知り、その子を受けとって沙弥とした。
 さて、優婆塞には親しくしていた居士がいて、優婆塞とその妻子に家族で明日の宴会に使用人として来てほしいと言った。
 優婆塞は朝になって思った。〈今、宴会に行けば誰が家を守るのか。私に力があれば一人残しても謝礼がもらえるだろうが、私は非力だ。もし自発的に残ると言う者がいたら、私も帰ってから褒美があげられるのだが〉
 すると、優婆塞の娘が父に言った。
「お父さんお母さん。使用人たちを引き連れて手伝いに行ってらっしゃい。私が後を守れますから」
父は喜んでいった。
「そりゃあいい。お前が留守番をしたら、母さんが留守番するのとかわりはない」
 そこで、家をあげて要請にこたえた。
 娘はかたく門戸を閉ざし、一人、家の中にこもった。
 さて、優婆塞はこの日、慌ただしさにまぎれて食事を送るのを忘れていた。
 尊者は思った。〈もう晩になろうとしている。俗人はいろいろと忙しいので食事を送るのを忘れたのだろう。こちらから人をやっって取りに行かせよう〉
 そこで沙弥に食事を取りに行くよう告げた。
「よく威儀をたもち、仏の説いたように村に入って乞食をするのだ。貪欲・執着をするでないぞ。蜂は花の蜜を採っても花の色や香りは壊さぬ。そのようにせよ。家に行って食をもらうのは、命の根を養うためだ。色・音・香り・味・舌触りをむさぼってはならぬ。 もし禁戒を保てば、必ずや道が得られよう。デーバダッタのように多く誦経しても、悪をなし戒をこぼてば阿鼻地獄に落ちる。瞿迦利(コカーリカ/Kokālika)のように誹謗し破戒しても地獄に行く。周利槃特(しゅりはんどく/Cūḷapanthaka)のように一偈も唱えられなくとも、 持戒の故に阿羅漢になることもできる。また、戒は涅槃門に入り快楽を受ける因なのだ。たとえば、バラモン法では長斎を設ける時は三月、四月かかる。知恵ある持戒し梵行するバラモンたちを選んで要請するのだ。全員は呼べないのだから。そして招かれざる者が混じらぬよう椀に封をする。
 あるバラモンは経典には詳しかったが清廉ではなく、甘い蜜をなめて封がなくなってしまった。 翌日、宴会の場所に来たバラモンたちは、封を示して次々と入っていった。 このバラモンは、封印の無いまま入ろうとした。  典事は言った。
「そなたの封はあるのか否か」
「あったが甘いので舐め尽くしてしまった」
「それならすでに足りているだろう。中に入れるわけには行かない」
 少しの甘い物を欲したがために、四ヶ月にわたる甘く香わしい美味と、財施の種々の珍宝を失ったのだ。お前も知るがよい。小事をむさぼって浄戒の印を破れば、人天中の五欲・美味・無漏の三十七品・涅槃安楽の無量の法宝を失うのだ。お前は、三世の仏の戒を破って、三宝・父母・師長を汚してはならない」

※封をなめる話。『国訳一切経』を見てもさっぱりわからず、悩みました。封印が蜂蜜なのね。

 沙弥は教えを受けて、師の足にぬかづいて礼をし、出かけた。
 優婆塞の家につくと門を叩き声を張り上げた。
 娘は誰かと問うた。
「沙弥です。師のために食をいただきに来ました」
 娘は、ついに願いがかなったと喜び、門を開いた。娘は端正で容貌ことにすぐれ、年は十六になったばかり。沙弥を前にして婬欲の火が燃え上がった。いろいろと媚態を見せ、肩をゆすり胸の谷間を見せて欲望を表した。  沙弥は思った。〈この娘は、ちょっとおかしいんじゃないか? 欲望につき動かされて、我が清浄の行を破ろうとしているんじゃないか?〉  そして威儀を保ち顔色を変えなかった。
 娘は五体投地して沙弥に言った。
「私がいつも願ってきた方が、今いらっしゃいました。いつもあなたに言いたかったのです。おとなしくなどしていられましょうか。いつもあなたを思ってきたのです。私の願いをかなえてください。この家には多くの珍宝・金銀があります。倉庫は毘沙門天の宮殿の宝蔵のようです。 しかし主はいないのです。あなたが志をまげ、私を妻とすれば、この家の主人となれるのです。お言いつけには何でも従います。どうか好機を見誤らないでください。私の願いをかなえてください」
 沙弥は思った。
〈自分に何の罪があってこの悪縁に会うのか。今はむしろこの身命を捨てたい。三世諸仏の制定した禁戒は破れない。 昔の比丘は、婬女の家に行くくらいならむしろ火坑に飛び込み不犯を守ったという。諸々の比丘は、賊にとらわれ草にしばられ、風が吹く日の下で虫たちにかじられても戒を守り、草を切って逃げようとはしなかったという。

※草木を無傷つけてはならない、という壊生租戒による言葉です。ジャイナ教やバラモン教にはあるのですが、仏教では樹木に限られます。 南伝仏教の僧院でも、よく草むしりをする僧の姿が見られるそうです。

ガチョウが珠を飲み込んで比丘が見たとしても、持戒の故に、極めて苦しんでいても説かなかった(極苦不説)。 海で船が壊れ、下座の比丘は戒を守っているが故に上座に板をゆずり、海に没して死んだ。 これらの諸人は仏の弟子なのでよく禁戒を守りえた。

※ガチョウの件。未詳。情報を求む。

私は直弟子ではないからよく持戒できないのだろうか。如来世尊は彼らだけの師で、私の師ではないというのか。チャンパカの花を胡麻油と並べて圧搾すれば、チャンパカの香りとなる。もし臭い花と一緒なら、油もまたその臭いとなる。私は今すでに善知識にあっている。どうして今日、悪法をなすことがあろう。むしろ身命を捨てて戒を破り、仏・法・僧、父母、師長をけがすことがあろう〉
 また思うには〈もし逃げたとしても女の欲心は盛んで、恥も外聞もなく外に走り出てつかまえ、私を誹謗するだろう。街の人に見られて汚辱は免れない。もうここで命を捨てるしかない〉
 そこで方便として言った。
「門戸をかたく閉めなさい。部屋に入ってなすべきことをしましょう。言うことをきくのです」
 そこで娘は門を閉ざし、沙弥は部屋に入った。物入れを開くと剃刀があった。心は喜びにたえず、衣服を脱ぐと衣装掛けに掛けて、クシナガラ城の仏が涅槃に入ったところに向かって合掌してひざまづき、誓願した。

「私は今、仏・法・衆僧を捨てません。和上阿闍梨を捨てません。戒も捨てません。持戒のためにこの身命を捨てます。願う所は往生しての出家、学道、浄修、梵行。どうか煩悩をなくして成道できますように」  そして首を切って死んだ。血はだらだらと流れてその身を染めた。

 娘は遅いのを怪しんで、扉のところに行き様子をうかがった。戸は開かず、呼んでも応答がない。なんとか戸を開くと、沙弥はすでに死んでいた。 元の容色は失われいていて、欲心はやみ、慚愧の念から懊悩した。自ら頭髪を抜き、爪で顔と目を傷つけた。灰の中をころげまわり、悲しみ泣き涙を流して、苦悩から気絶した。
 優婆塞の父が帰ってきて門を叩き娘を呼んだ。娘は答えない。父は静けさを怪しんで、人に塀を越えさせて門を開き、娘を見つけてなにがあったのかをたずねた。
「どうしたんだ。何者かが侵入してお前を手ごめにしたのか」
 娘は黙って答えない。
 娘が心中思うには〈もし今、本当の事を言えばとても恥ずかしい思いをする。けどもし沙弥が自分を陵辱したと言えば、善良な人を侮辱することになり、地獄に堕ちて無限の罰を受ける。嘘をついてだますべきではない〉と。   
 そこで事実を答えた。
 父は娘の話を聞いても驚きはしなかった。煩悩をおさえる法を知っていたからだ。
父「一切の物事はみな無常だ。憂い恐れてはならない」
 そして室内に入り沙弥を見た。血で汚れて赤く、栴壇の机のようだ。
 前に行って礼をなし、賛嘆した。
「よきかな。仏戒を護持し、身命を捨てうるとは」

 さて、その国の法では、もし沙門や白衣の人(宗教者)が家で亡くなれば、罰金一千銭を官におさめるとあった。優婆塞は一千の金銭を銅盤に置いて、王宮に来た。
 大王に言う。「罪をおかしました。どうぞ罰金をおおさめください」
王「そなたは我が国で三宝を敬信し忠義で正しく道を守る者として有名だ。言うことに間違いは無いだろう。ただ、そなた一人、何の過ちあって罰金をおさめようというのか」
 優婆塞は起きたことをつぶさに陳述した。そして、自らの娘をけなし、沙弥の持戒・功徳を賛嘆した。王は事情を聞くと、心底驚き慄然とし、篤信の心はさらに増した。
王「沙弥は戒を守って自らの身命を捨てた。そなたに罪咎はない。罰などあろうか。すぐに家に帰れ。余が今、みずからそなたの家に行って沙弥を供養しよう」
 そして金鼓を打ち国中の人に告げ、前後にお供を従えて優婆塞の家に行った。 王自ら中に入り、沙弥の身体を見た。栴壇のように赤い。前に行き礼をなし、その功徳を賛嘆した。種々の宝で立派な車を飾り、死んだ沙弥を載せた。 平坦地に来るといろいろな香木を積み、荼毘に付して供養した。

 娘を着飾らせると世にも希な美女だった。高くよく見せるところに居させて皆に見せた。 そして皆に言った。 「この娘はとても美人だ。容姿がとてもすぐれて輝くようだ。欲を離れていない者で欲情を抱かぬ者がいようか。この沙弥はいまだ道を得ず生死に迷う身ながら、戒を奉じて命を捨てた。希有の事だ」
 王は人を遣り、沙弥の師を招いて広く大衆のためにすばらしい法を説かせた。会衆はそれを聞き、出家して浄戒を保ちたいという者、無上菩提心を起こす者がいた。喜ばぬ者はおらず、みな承ったのだった。

※沙弥は、釈尊自身も一生不犯の身ではなかったことを思い起こすべきだったのです。それとも根っからの女嫌いだった?


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