賢愚経巻十 児誤殺父品第四十

 このように聞いた。
 仏が舎衛国の祇樹給孤独園にいた時のこと。一人の老人がいた。早くに妻を亡くし、子と暮らしていた。財宝もなく世の無常を感じて出家したくなった。そこで仏の所に行き入門を願った。
 仏は哀れみすぐに出家を認めた。そこで比丘となったが子はまだ小さく沙弥となり、父とともにいた。村に入って乞食をし、暮れては住処にかえる。最も遠い村に行くと帰りは日暮れ時になるのだ。
 父は老いていて歩みはのろかった。子は毒獣を怖れて父をせかし、背中を押して進んだ。しっかりつかんでいなかったため、父は地面に倒れ、当り所が悪くて死んでしまった。
 父の死後、子は一人、仏の所に行った。比丘たちは沙弥にたずねた。 「朝は師とともに村で乞食をしていたのに、今はどこにいるのか」
 沙弥はかくかくしかじかと語り、比丘たちは沙弥を責めた。「お前は父殺し師殺しの大悪人だ!」
 そこで仏にそのことを言った。
仏「師が死んだが悪意のゆえではない」
 そして沙弥にたずねた。「そなたは師を殺したか」
沙弥「押しましたが悪意で父を殺したのではありません」
仏「そうか。この沙弥に悪意がないことは私にはわかっている。二人は過去世でも悪意なく相殺しあったのだ」
 比丘たちは仏の言葉をきいて言った。「世尊、わかりません。それはどういうことです」
仏「よく聴きなさい」

 はるかはるか昔、父子二人が同じ所に住んでいた。父は病がおもく床に臥していた。虻や蠅が多くしばしば悩ませた。父は安眠しようと子に蠅を追い払うよう言った。子が追い払っても蠅は何度も来る。来てもひとところに止まらない。子は怒り、大杖を持って蠅を殺そうとした。虻と蠅は競うように父の額に集まり、子はこれを杖で打った。そこで父を殺してしまったのだ。

仏「この時もまた悪意はなかった。比丘たちよ、その時の父がこの沙弥である。子が殺した父がかの死せる比丘である。この時、悪心なく杖で父を打ち殺したから、悪意なくその報いが還ってきたのである。そしてその時の沙弥はゆっくりと修学をすすめ、怠けなかったため、ついに今、羅漢となったのである」
 比丘たちは仏の話を聞くと心から信解し、喜んで教えを受け取ったのだった。

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