賢愚経巻十 勒那闍耶品第四十三

 このように聞いた。
 仏がカピラ国のニャグロダ伽藍にいたときのこと。シャカ族の人々がみな、世尊の光明と神変をはっきりと見て「すごいすごい、すばらしい、誰も及ぶ者がいない」と賞賛した。そして「憍陳如(コンダンニャ)らは宿世にどんな善行を積んで如来の世に出る所に来合わせ、法鼓が初めて震えるのを(註:最初の説法を)聞けたのか」と賛嘆した。
 甘露のような雨がまず降り沢を満たすように、永遠に垢穢を離れるための心と体の奥深い要点は、城から村に広まった。皆はあい寄ると異口同音に賞賛した。
 諸比丘はこれを聞いて仏の所に行き、ひれ伏して礼をなし仏に言った。
「今、この国の人々は、みな集まって異口同音に世尊と最初の弟子である五人の比丘を讃詠しています。一部の美徳は五人に及んでいます。宿世にどんな善行があり、先に済度されたのでしょう」
仏「彼ら五人が先に済度されたのは今回だけではない。私は久遠の昔から彼らを済度してきたのだ。この身を船となして溺れぬように救い、その生命をまっとうさせ、安隠に彼岸へと至らしめた。私は今、成仏したが、先に彼らを選んで救っていたのだ」
「世尊、わかりません。昔、どのようにして済度なさり、皆を安穏になさったのでしょう。願わくばお教えください」
仏「リラックスして聞くのです。今話そう」

 久遠の昔、この閻浮提世界のバラナ国に梵摩達(ブラフマダッタ)という王がいた。その時国には勒那闍耶(ロクナジャヤ)という商隊主がいて、外に出ては交易をしていた。
 林樹の間に来た時、悲痛な声で泣きながら、樹に縄をつけている者がいた。そこに頭を入れて首つり自殺をしようとしていたのだ。 そこで前に行ってたずねた。「何をするのだ。人身は得がたく命ははかない。衰えたり変化することは無数にあり、皆、いつも死がいたるのをおそれているというのに」
 いろいろとたとえでさとし、縄から離れさせた。
 その人は言った。「私は福分薄く、貧窮を極めています。負債は山のようで、計算すら出来ないほど。債権者は競うように物を奪い、日夜催促し、心の晴れる時はありません。天地は寛大で広いと言いますが、居所はありません。今、この苦を逃れようとしていたのです。やさしくお諫めいただいたものの、死ぬしかもう道がないのです」
 商隊主は言った。「縄から手を放しなさい。借財の多少にかかわらず私が肩代わりしよう」
 するとその人は大喜びして感慨無量、商隊主に従って市中に行った。そして債権者を呼び集めた。債権者は雲霞のように集まり、無限にいるかのようだった。商隊主は財が尽き果てたが、まだ債務は残っていた。妻子は窮乏してこごえ、乞食をして生活する しかなかった。親族や同国人には嫌われせめられた。この狂った男が自ら家業を破ったのだと。
 この時、商売をしたことのある人が商隊主にともに海に行こうと勧めた。「商隊の法では、自分で船具を調えなくてはならない。私は今、窮困して何のあてもない。どうして一緒に行けよう」
「われらはおよそ五百人、銭を出し合って船具を調えるのだよ」
 これを聞いて事業に加わることにした。
 人々は商隊主が黄金の宝物を受け取ることに同意して預けた。商隊主は三千両の金を預かり、千両で船、千両で食料、千両で船に必要な物を買い、余りは妻子の生活用に与えた。
 海辺に行き大きな船を作らせた。船には七重の防御があり、海に浮かべた。七本の大綱で岸辺につなぎ、大きな金の鈴を吊して命令の合図とした。
「海に入って大妙宝を得、珍奇な異物を尽きぬほどとりたい者よ、集まるのだ」
 人々が集まるとまた告げた。「父母妻子、現世での楽、身命を愛さぬ者のみ行くべし。なんとなれば、大海では危険なことが多い。渦巻き、暴風、大魚、悪鬼。これらのことは言い尽くせないほどだ」
 こう言い終えると綱を一本切った。毎日このようにして七日がたつと縄は尽き船は滑り出した。
 航海中ににわかに暴風にあい船は壊れた。皆は救けを求めたが、救いとなる物はなかった。ある者は板につかまってただよい、ある者は溺死した。その中で五人は商隊主と共にいた。
「あんたを頼りにして来たものの、今まさに死の危機にある。どうかお願いだ、救ってくれ」
商隊主「海は死体とともに眠らない、と聞いたことがある。いますぐ私をつかまえてくれ。あんたらのために自殺をして、災厄を祓おう。誓って仏となるので、成仏した時には無上正法の船となろう。生死の大海の苦から済度すると誓おう」
 こう言い終えると、刀をもって自らを裂いた。
 命つきると海神は風を起こし、向こう岸へと吹き渡して大海を渡り終えさせた。そこでみな安隠を得た。

 仏は比丘に告げた。「まさに知るべし。この時のロクナジャヤが今の私だ。五人がコンダンニャら五人の比丘である。私は過去世においても彼らの命を救ったのだ。今、成仏して、五人は皆、最初に煩悩を断ち正法を得た。煩悩の大海の大きな流れから遠離できたのである」
 比丘たちは皆、ともに如来の大悲と深慮遠謀を讃歎して、仏の教えに勤め励み、喜んでうけたまわったのだった。
※たとえ話ではありますが、なんとも激烈な話です。あとの五百人は省略なのね。

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