賢愚経巻第二 降六師品第十四

賢愚経巻第二 降六師品第十四
(六師をやっつけた話)

※六師外道と呼ばれた、釈尊と同時代の思想家たちとの話です。
 実際には、六師外道が連合して釈尊と争ったようなことはなかったようです。そもそも、六師外道の間でも、思想が違っていました。

 このように聞いた。仏が王舎城の竹林園にいた時のこと。千二百五十人の比丘とともにいた。
 ビンビサーラ王(マガダ国王)が初果を得て信じ敬う心いよいよ深く、上質の衣服・飲食・臥具・湯薬の布施をなして仏教団を供養し、仏法を楽しみとしてみなにすすめていた。
 国にはプーラナ等の六師が先に世に出ていた。彼らは邪見・顛倒の説で民衆を広く惑わし、悪党が世にあふれていた。
 王の弟は六師を深く信じ、それが道だと言い、家財を傾けて支援した。仏が出るや世にその教えは広まり世をうるおし、兄の王は仏を奉じるよう令をくだした。弟は従わず、幾度勅令を発しても仏を供養しようとはしなかった。
弟「私には元々の師がいる。さらにゴータマ仏陀を奉じることはできない。しかし王にも教理はあり相違はないはずだ。誰もが来れる説法大会を開き、そこで会食しよう」
 そこで大会場をととのえると、六師の信者がわんさかおしよせ上座についた。そして仏と僧があらわれないことを怪しんだ。
  皆は王に言った。「王は以前からしばしばゴータマを呼ぶと言い、今、会場をもうけた。時は来たのに如来は来ないではないか」
王は弟に言った。「お前は自ら行っておこしを願うことはかなわずとも、使者を一人送って日時を告げることくらいできただろう」
 弟が言われて人をやると仏とその信者がやってきた。
 彼らは六師が先に上座についているのを見て思い思いにすわった。仏は神通力をもって六師とその輩を下にやった。六師は恥じて上座に戻ろうとしたが、いくら上座に行っても坐ると下座に行ってしまう。

※お釈迦さんは王族ですからねえ。実際は遅れてきても上座をすすめられる立場です。そして、今もある、大寺、小寺、末寺の席次争い的な感覚で見てしまうと、ちょっともの悲しくなります。

 布施をする檀越らが水を持って上座に行くと、仏はまずそなたの師の前に行きなさいと言った。そこで甕を持って行くと口が閉じてしまい水が流れない。仏の前に戻ると水が出る。
 皆で手を洗い終えたところで呪願をなすことになった。
 檀越が食事を上座の前に置くと、仏は「元々は私のための席ではないのだから自らの師のところに行き呪願をなし教えを受けなさい」と言う。
 六師の前に行くと 彼らは口をつぐみ言葉が出せない。みな手をあげて仏の方をさししめした。仏が呪願をなすと、音吐朗々、よい声である。
 次に食事をすすめると、仏はまず自らの師のところに行きなさいと言う。すると六師は空中に浮き上がり、食事がとれない。仏と僧が食べ終えるとみな降りてきて食事が出来た。
 食事が終り手と口を漱ぎ終えると次は説法である。仏は檀越に六師に乞うて説法してもらいなさいと言うが、六師はみな口をつぐんで仏を指さす。そこで如来は広く会衆のために、衆情に合わせてやさしく法性と分別義理について説いた。
 仏説を聞くとみな理解し、王弟は法眼の浄きを得た。
 残りの衆人は初果から三果を得た。出家は皆煩悩がつき、無上の心をおこし不退転の境地についた。心に望むところはみなその願いをかなえた。皆まじめに三宝を信じ敬った。いやしい六師は受けるべきでないお供えを捨てた。
 六師は激しい悩みと怒りを抱きつつ、静かな場所へと帰っていった。

※結局、議論にはならなかったのですね。
本当の神通を示すなら六師が信服する話にしなければならないでしょうし、そうすると話が終ってしまいますね。

 天魔波旬は悪を広められないこの状況をおそれ、六師の前にあらわれて術を見せた。空中を飛行し、身より水火を出し、分身し、様々な変幻を見せた。愚かな六師は先の恥辱で供養を失ったことをうらみ、集まって謀議して言う。
「我々の技量では及ばなかった、みなの師が来て神変を見せている、彼に頼んで王の前でやっつけてもらおう」
 そこで王の元に行き神秘の術で決着をつけたいと言った。
 王は笑って言った。
「何を愚かなことを。仏の徳は弘大で神通は絶大だ。蛍が太陽と争うようなもの、牛の足跡の水たまりと海を比べるようなもの、ジャッカルとライオンが争うようなもの。蟻塚と須弥山を比べるようなもの。血迷った愚かな考えだ」
六師「験は結果である。王はいまだ我らの特殊な変幻を見ていない。彼を大きく言うのは試した後の話だ」
王「では試すがよい。ただ自ら侮辱を招こうとしていることは恐れるがよい。いざ見届けん」
六師「では七日後に。公平な会場のご用意を」
 六師が去ると、王は仏のところに駕籠で行き、事の経緯を語った。「どうか世尊、その神力をふるって邪悪を伏せたまえ。されば善に従いましょう。役人たちにも見せましょう」
仏「私も動く時が来たようだ」

 王は、仏の神通比べだと言い、臣下に勅命し、平らな場所を作らせ、座をおき幢幡を立てきれいに飾り付けをした。当日には用意が調い如来と衆僧は王舎城からバイシャーリへと向かった。バイシャーリでは色んな宗派の人や民が出迎えた。期日に遅れて仏にあわずば実の知が得られないと来たのだ。
 六師の信徒はゴータマの術は浅薄だと言いふらした。それでもまだ期待するなら神通比べの会場に来てみろ、きっと反省して逃げるだろうと言った。バイシャーリでは六師の徒は意気盛んで仏には不利だったのだ。
 王は五百乗の車にいろいろなものを積み、百四十万の群臣とともに食料をたずさえて、仏とともに前後を飾ってバイシャーリに入った。
 六師は諸派の人に「ゴータマと神力比べをし実性について議論をする、もし見たくば七日たつまでに来い」と言っていた。
 諸派の人は仏に言った。「六師は血迷って自らに道ありと言い、神力比べをしようと言っている。世尊よ、神をくだして降伏せしめたまえ」
仏「私は時を心得ている。みなさんは臣民をひきつれて王と協力して厳しく事にあたってほしい」
 そこで皆は明日の仏の到着を待っていたのだ。

※「諸派の人」の原文は「諸律昌輩」で、おそらくはリシの音訳でしょう。まじめに戒律を守って修行している人の意ととりました。

 仏と衆僧はカウシャンビ国に来た。カウシャンビ王は名を優填(ユウテン)といい、群臣をひきつれて出迎えに出た。
 バイシャーリの明晨(メイシン)という人が仏にたずねた。「仏がカウシャンビ国に来たときいて六師はいきりたっています。衆を集めて必ずやせまってきましょう。諸派の人は五百の車にお供えをのせ七十万の衆とともに来ています。ビンビサーラ王もカウシャンビの人を集め、仏と六師の神力比べを見させようとしているので、道の前後は激しく混み合っています。六師はすでに来ていて優填王とまみえ混雑の事情を話したりしています。沙門よ、
意地にならず急いでお逃げなさい。王は必ずや私と神通比べをさせるでしょう」
 ユウテン王も仏に六師の言葉を伝え、神通比べをしない方がよいと言った。
 仏はふたたび言った。
「私は動く時を知っている」
 優填王は仏がその国で神力比べをするよう望み、ビンビサーラ王と同じように厳しく備えさせた。皆が会場に着くと、仏は比丘衆とそこを去り、ヴァッジ国へと来た。
 ヴァッジ国王の屯真陀羅(トンシンダラ)は民と共に世尊を迎えた。
 カウシャンビの人明日(メイジツ)が問うた。
「仏はすでにヴァッジ国へと向かい、六師の徒はその後を追いました。優填王も八十万の衆とビンビサーラ等の諸国の人ともにヴァッジ国へと集まってきました。六師はヴァッジ国王に会い自説を説きました。必ずやゴータマと私の術比べをさせるでしょう」
 トンシンダラ王もまた仏と会い話した。
仏「私は動く時を知っている」
 かくして仏は因陀婆弥(インダバミ)王のタキシラ国、梵達摩王のバラナ国、シャカ族のカピラヴァストゥ国、と移動し、ついにハシノク王の舎衛国へと至った。
 六師はハシノク王にまもえると事情を細かく説明した。
 王は笑って言った。
「仏説は難しく不可思議だ。汝ら凡才が大法王と力比べをしようというのか」
 六師は激高した。
 王は仏のところに行ってつげた。
「六師は丁寧に挨拶してきおった。世尊よ、神化に伏させて全ての偽りをあかしてやるがよい」
仏「私は動く時を知っている」
 王は勅命をもってきれいな会場を用意した。

 大衆が集った。十二月一日に仏はつき、王は食事の席をもうけた。
 朝早くに手ずから楊枝をわたし、仏が歯磨きを終えて地に捨てるとうっそうとした樹になった。高さ五百由旬、こんもりと枝葉が広がり、車輪ほどの花が咲き、ついには五斗の壺ほどもある果実になった。根茎枝葉は七宝のようできらきらと発光し日月をおおった。果実は甘露のごとく香気は四方に広がり嗅いだ者は恍惚となった。さらには枝葉が当たるとみやびやかな音が響いた(出和雅之音)。

※「出和雅之音」は『阿弥陀経』の一節を思い出します。もっともあちらは極楽の鳥が「出和雅音」するという話ですが。

 法を述べると聞く者はあきず、一切の民はこの樹変によって敬信の心を深めた。仏の説法は民の意に沿いみな心が開かれた。仏を求める者は天に生まれる果を得た。

 二日目。優填(ユウテン)王に請われて如来は再び神変を現した。二つの宝山をつくり、みなに厳然として見せたのだ。色んな宝が積まれ、五色に輝いた。若干の樹木が頂上へと列をなし、花と果実が茂った。花と果実からはよい香りがした。その山の頂にうるち米が実り、とてもおいしく、人々は好きなだけ食べた。柔らかくおいしい草があり、動物が食べていた。人が行って食べてみると心が満たされる味だ。
 人々はこの神異をまのあたりにし、食べて喜び、仏への仰ぎ慕う心を深めた。仏は内容を変えて妙法をとき、みな無上心をひらき生天果を得た。

 三日目は屯眞陀羅(トンシンダラ)王に応じて供養を受けた。浄水で口をすすぐと宝池ができた。周囲は二百里で七宝に囲まれ池の水はいろいろな色で火のように輝いていた。八徳がそなわり、池底は七宝の砂で、八種の車輪のような蓮花が咲いていた。青黄赤白紅緑紫の色の花がまじりあい、馥郁たる香気が漂っていた。蓮花の花の色にそれぞれが光り、光明ははるか天地まで照らした。
 大会でこの宝池を見た者はみな、歓喜して仏の無量の徳をたたえた。仏は観察によってみなの心を知り、方便の説法をした。みな無上心をひらき天に生れる果を得て福業を増した。

※宝池の話は、『阿弥陀経』の「池中蓮華 大如車輪 青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光 微妙香潔」を思い出させます。

 四日目。因陀婆弥(インダバミ)王の求めで仏は宝池の四面に流れを作った。みな自然に流れ、清く妙なる音がして、五根五力七覚八道三明六通六度四等大慈大悲について説法していた。
 これを聞いた者は皆、仏を求めて発心し、生天の果を得て福なるめぐみを積んだ。

※『阿弥陀経』では「五根・五力・七菩提分・八聖道分・如是等法」について鳥が説法していますね。

 五日目。梵摩達王の求めと供養で、仏は口から金色に輝く光を放った。大千世界に光明が広がり、その光に触れた衆生は三毒五陰が自然とやみ、心身が楽になった。それは比丘の第三禅のようであった。
 皆おどろき仏を志慕した。説法によって皆が大道心を得て生天果を得、福をすすめ智慧を修めた。

 六日目。諸派の人が仏に請い、大会の衆生に心をあい知らしめた。各人が一切の心を知った。思うところの善悪、何をしたいのかを知り、みな驚き喜んだ。仏の徳を喜び賛嘆し、仏は千の妙法を説いた。みな仏を求める者となり、生天果を得た。

※心理学的なセッションをした感じなんでしょうね。

 七日目。シャカ族が仏に請い、皆が自分を転輪王の七宝千子とみなした。諸王の臣民はうやうやしくうけたまわって尊敬の念は減ることなく、みな驚き喜ぶこと無量であった。
 仏の説法は皆の心にかない無上正覚の心を得て生天果を得た。

※自尊心を持つよう説法をなさったのでしょう。

 八日目。帝釈天に請われて仏は獅子の椅子にすわった。帝釈は左に梵天は右にひかえ、会衆はみな静かに禅定に入った。
 仏はゆっくりと腕を伸ばすと椅子に触れ、突然大声を発した。それは象が鳴くようで、それに応じて五大神鬼があらわれ六師の椅子を壊した。金剛密迹(仁王の一人)は金剛杵を持ち、金剛杵の頭からは火が出て六師は驚き慌てて逃げ出した。この辱めを恥じて河に飛び込み死んだ。六師の九億の弟子はみな仏に帰依し弟子となった。
 仏は言った。「善く来た比丘よ」すると髭と髪はぬけおち法衣が身にまとわれ皆沙門となった。仏は説法し、その法の要で煩悩は尽きてみな阿羅漢となった。

※八日目は坐禅大会になりました。六師、弱すぎです。象のような声は「喝!」の元になったのかもしれません。
幻術→セッション→自己啓発→坐禅、という流れがあり、仏教団でもこういう構成で教化をしていた人たちがいたのだろうなと感じさせる話です。

 この時如来は八万の毛穴から光を放ち、光は虚空に満ち満ちた。一々の光の先には大蓮華が咲き、その上では化仏を囲み諸大衆が説法を聞いていた。会衆は皆、このすばらしい変化の術で信じ敬う心を倍加させた。仏はそれぞれに応じた説法をし、みなは大いなる心をもち生天果を得た。

※八万の毛穴から光を放つ話は、『華厳金獅子章』を思わせます。
『華厳金獅子章』は、則天武后が法蔵を宮廷に招いて『華厳経』の講義をさせた際の説明をまとめた本です。めくるめくフラクタル的な世界観を描いた書物です。

 九日目。梵天が仏に請うて仏は梵天と同じ大きさになった。威厳は限りなく大光明を放って天地を輝かせた。みながあおぎその言葉を聞いた。
 仏は種々の法の要を明らかにして示し、多くの衆生に仏になりたいと発心させ、無数の人に生天果を得させた。

 十日目になると四天王が仏に説法を請うた。
 この時世尊は、大衆に仏の肉身を見せて、諸天にあまねく現れた。四天王から色究竟に至るまでの皆が仏身を見た。大光明を放ちつつすばらしい法をとき、みなが仰ぎ見て明瞭に見てとり、一切の大衆は敬い仰ぐ心を増した。 
 仏は各人の意図に応じて説法し、みなは大いなる心をもち不退転の位についた。生天果を得た者は数え切れないほどだった。

 十一日。須達長者が仏に請い、この日、仏は高座の上で姿を隠して寂滅し現れなかった。
 ただし、光を放ち声は柔軟で、諸法の要をこまかく説いた。会衆は法を聞いて悟りを解し、大いなる心を発して不退転の境地にあり、生天果を得るものははなはだ多かった。

※『賢愚経』が書かれた時点ではすでに色界禅定/無色界禅定の本義は失われ、別世界の意味になっていたようです。
須達長者は祇園精舎を建立し寄進した在家の篤信の人です。釈尊が姿を現さなかったということは、弟子に説法させたのでしょう。
お経の作者による在家を低く見る意識が投影されているのかも。

 十二日目。質多居士が仏に供養したいと言った。仏はこの日、入慈三昧で金色の光を放ち、世界に満ちあふれさせた。光が衆生に触れると三毒の心はやみ、自然と慈しみの心が起き、衆生を父母兄弟のごとく平等に見るようになった。愛潤の心が均等になったのである。この後妙法を少し説法して、皆は大いなる心を発して不退転の境地にあり、生天果を得た。

 十三日目。屯眞陀羅(トンシンダラ)王が供養したいと願い出た。仏はこの日、高座にのぼって臍から光を放った。光は分かれて身を七仭離れた。その先には化仏の乗った花が咲き、仏と同じ姿だった。化仏の臍からまた光明が放たれ同じ事が繰り返された。これが繰り返されて世界中に広まった。皆はこれを見て愕然とし、驚き喜んだ。
 仏は心にそった説法をなし、多くの者が大いなる心を発して不退転の境地にあり、生天果を得た。

 十四日目。優填王が仏に請うた。この時、仏の上に花を散らしたら、仏は花を千二百五十七の宝高車に変えた。高さは梵天にいたり、光は金山をこえ、様々な宝の様々な色は輝いて互いを照らしきらきらしていた。金の光はふるえ、神珠、瓔珞は数限りなくその間にちりばめられていた。高車にはみな仏身があり、大光明を放って世界に満ちあふれていた。会衆はこれを見て喜び敬いしたった。
 仏は各人の悩みに応じた「応病投薬」の説法をした。皆、大いなる心を発し、あるいは不退転の境地にいたり、多くの者が生天果を得た。

※フラクタル画像のようなめくるめく世界です。「仏教は平等を説いた」ということはよく言われますが、「平等に成仏する」ではなく、本来は「平等に、同じ人として他者を見る」だったのでしょう。

 十五日目。ビンビサーラ王が仏に願い出た。あらかじめ食のみを供養せよと言ってあり、王は器にこだわって厳選し、多くを並べた。食事時には器はおいしい種々の物で満たされ、会衆が飽き足りてあまりあるほどだった。食事を終えると心身は安楽になった。
 この時世尊は地面を手の指でさして十八地獄の一切を見せた。無数の罪人がその罪に応じて各々のなした事を述べ、この苦を受けているのだと言った。皆はつぶさに聞き、慈悲と哀愍の心を抱きぞっとした。
 仏はその場に合った説法をした。大心を発して不退転の境地にいたり生天果を得た者は数え切れなかった。地獄の衆生は仏の法を聞く縁によって心から敬い仰ぐ心を得て、みな遥か地獄から自ずと帰依した。ついには皆、天にうまれて上品の人の中に生れることが出来た。

※すでに十八地獄の説が確立していた頃のお経なんですね。仏教団が多くの喜捨を受けていい物を食べていた様子もうかがえます。

 ビンビサーラ王は仏にひれ伏して言った。「仏には三十二の奇特の相が身手にあります。しかし、如来の足裏の輪相だけは見たことがありません。願わくば衆生に見せていただきたく存じます」
 そこで仏は脚を出し、会衆に見せた。みなは足裏のくっきりとした美しい輪相を見た。これを厭う者はなく、王は歓喜を増した。

※仏足石の元となった説です。最初は輪っかだけだったのでしょう。のちに、色々な吉祥模様が付け足されました。
https://images.dnpartcom.jp/ia/workDetail?id=TBM000094

 王は重ねて仏に問うた。「世尊、元々どういう徳があってこのみごとな輪相ができたのですか」
仏「過去に十善を修し人にも教えたがゆえにである」
王「世尊、十善を修し人にも教えるとはどういうことですか。詳しく明かして下さい」
仏「よく聴き心にとどめるのです」

 はるか昔、施陀尼弥(セダニミ)という大国があった。八万四千の国を領し八十億の集落、一万の大臣がいた。
 王には二万の夫人がいて皆子がなかった。王は国の後継ぎがないことをはなはだ悩み、諸天に祈った。
 第一夫人は須梨波羅満(シュリハラマン)といいしばらくして妊娠した。妊娠してから心は聡明で仁慈にして哀れみ深く人に善をすすめた。日が満ちて男子を生んだ。その子は顔が素晴しく整い、体の毛穴からは光明を放っていた。王ははなはだ喜び、占い師を呼んで占わせた。占い師は赤子を見て賛嘆の声をあげた。「すごく立派な人になり、四海に徳をもって知られ、天下が敬服するでしょう」
 王はますます喜び、名前をつけよと勅をくだした。占い師は生れた時に何か奇瑞はあったかときいた。
王「この子を妊娠して以来、夫人が聡明で仁慈にして哀れみ深く善を勧めた。その他にも瑞祥はあったがこのことが最も不思議であった」
 占い師は驚き、王に言った。母はあらかじめ恵みを自身の光明であらわしていたのだ、と。そして、那波羅満(ナバラマン/漢語では恵光)と名付けた。
 太子は成長して知恵は人より抜きん出ていた。父王が亡くなり葬送が終ると、もろもろの王臣が集まり王位を継ぐよう太子に勧めた。しかし太子は固辞してその器ではないと言った。
諸臣「大王はすでに崩御してただ王子のみがあり兄弟もいないのです。誰に位を譲るというのですか」
太子「世の人は悪を行い必ずしも従順ではない。もし刑罰を加えるとすれば、私の罪は少なくないだろう。民を率いるのなら皆が十善を行うべきだ。
さすれば私も国を治められよう」
諸臣「善き言葉です。ここは、ただ昇殿して十善の道を行うよう勅令を出したまうよう願うのみです」
 そこで太子は王位に就き、民に十善をなし、みな敬い従い、改心してふるまいを改めるよう勅令をくだした。
 魔王は嫉妬してうらみ、王化が失敗するよう密書で「すでに行善の勅令は効果がない」と諸国に伝えさせた。
〈苦労してそのようなことをしても無益である、民はほしいままにふるまい十悪事をなすにはばかるなかれ〉
 諸王はこの詔勅に違和感を覚え、どういう超理論で人に悪をすすめるのかと親書を送った。王はこれをきいて驚き、愕然として言った。
「私はこのような命令は出していない。どういうわけでこうなってしまったのか」
 そして厳格に勅命を行き渡らせ諸国をまわって親しく臣民と会い、異なる命令を改めさせた。

※六師外道の、プーラナ・カッサパの道徳否定論や、パクダ・カッチャーヤナやアジタ・ケーサカンバリンの唯物論、マッカリ・ゴーサーラの完全運命論への批判と言えるでしょう。

 魔王は道ばたで、燃えさかる火で焼かれる人の姿になって現れ、王に言った。その声は悲惨をきわめていた。
王「そなたは何者か」
「私は以前、十善をすすめていた者です。それゆえ今、この激しく忍びがたい苦を受けています」
「人に善事をなせとすすめてどうして苦を受けたというのだ。十善を行う者は皆、よい報いを受けているではないか」
「その人は善福を受けているだけです。私は他人に教えてこの苦を受けています」
 王は歓喜して言った。
「その人に善福を受けさせて苦を受けたのなら喜ぶべきではないか。恨みに思うべきではない」
 魔王はそれを聞くと姿を消した。
 王は諸国をめぐって十善行をすすめ、民はそれに伏した。身、口、意をつつしみ、正しい教化はますます広まった。
一切の者が王をたたえ王徳はかがやいた。瑞祥が降り世界の端まで七宝が満ちた。

仏「世界を教化し善導につとめとしたこの大王は、知るがよい、施陀尼弥(セダミヤ)王といって今の我が父、浄飯王である。この時の母は今の我が母の摩訶摩耶である。かの恵光王は十善で民を教化したがゆえに、わが身もまたかの世で自ずと十善が行われた縁によって民に十善を行わしめるのである。
ここをもって足の裏に千輻相輪を踏んでいるのである」

 ビンビサーラ王はまた仏にたずねた。「六師と迷える者たちは自らの度量もかえりみず利益と生活をむさぼり、嫉妬心を起こし、『世尊と神力比べをしよう、仏が一の力とするなら我は二倍だ』と言いました。仏が神変と不思議を現すと六師は萎縮して一つの術も出していません。恥じて水に身を投げ、門下は解散しました。しかしその災いは残り、迷いを残しました。どうしてこのようなはなはだしい害が起きたのでしょう」
仏「今日に限らず六師の徒は名と利を求めて争い、私と決着をつけたがり、門人を失ってきた。過去世でも同じ事が起きていたのだ」
 王はひれふして言った。「世尊、過去の六師との争いと門人を奪った話を詳しくお聞かせ下さい」
仏「よく心して聞きなさい」

 遙かな昔、この世界に摩訶賒仇利(マカシャキュウリ)という王がいて五百の小国を領有し五百の夫人がいた。
 継ぐべき太子がおらず、王は自分が崩御したあとにあい争うことを心配していた。兵乱が起き、民が殺され、国が乱れるのはどれほどの苦しみをもたらすかと思い、憂鬱の海に沈んでいた。
 時に天帝たる帝釈天が天より下り一人の医者と化して王を訪れ、その憂鬱について問うた。王はかくかくしかじかと語り、医者は、ヒマラヤにのぼって夫人が妊娠するよう薬草を採ってきましょうと言った。
 王は事を頼み、医者はヒマラヤで色んな薬草を採ってきて乳とともに煎じ大夫人に与えた。夫人はその臭いをいやがり不信感を抱いた。医者が天に帰ると薬を飲まず、他の小夫人たちは薬を飲んだ。程なくして大夫人以外は妊娠した。夫人はこれを聞いて憂い、王は薬の残りはないかと尋ねた。
 答えは「すでに尽きた」というものだった。原料の草は残っているかときくとあると言う。乳をもって煎じさせ、さらに煮詰めさせた。
 夫人も数日して妊娠した。小夫人たちは男子を産み、みな端正にしてよい顔立ちだった。王は赤子たちを見て大喜びした。
 大夫人は遅れて男子を産んだが顔は極めて醜く切り株に塊ができたようだ。父母はこれを見て喜べず、多羅睺施(ターラゴウセ/株杌)と名付けた。
 この子は勅令して他人に養育させた。他の兄たちが結婚しても株杌だけは結婚の話がなかった。
 後に周辺の国に侵略があり、五百の王子は兵を率いてあらがったが緒戦で敗れ城に逃げ込んだ。
 株杌(シュゴツ)王子は兄たちに問うた。「どうして逃げたのだ。何かを恐れたようだが」
「戦っても勝つ見込みはなかった。追われて逃げたのだ」
株杌「彼らのような賊軍は見過ごせない。我が先祖神の寺にある大弓を持ち来たれ。私が行って撃ってみせよう」
 先祖は転輪王だったのだ。大勢の人をやってその大弓を運ばせた。
 弓の弦を張るとその音は雷のようで四十里に聞こえた。株杌は弓を持って一人撃ちに出た。
 まず法螺を吹いた。その音は霹靂のごとく、敵軍は聞いて怖れをなし逃げ出した。
 敵が退いて帰ると、父王はこの奇異に株杌への愛をいだき嫁をとらせようと手立てを考えた。
 時に一人の国王がいた。名を律師跋蹉(リッシバッサ)といい、娘は絶世の美女だった。
 国王は使いをやり、兄の顔を示して求婚しているとした。使いが王の言葉を言上すると、リッシバッサは結婚を許した。
 使いは帰って王にこの事を伝え、王は大喜びし、車馬を送り迎えさせた。王は株杌(シュゴツ)に勅命して、昼間は嫁に会うな、と言った。
 これ以降、株杌が嫁と会うのは夜だけであった。
 諸子の夫人が夫自慢をしていたとき、株杌の夫人もまた言った。「私の夫は勇猛で力強く、体は細く柔らかいですわ。敬愛しております」
 他の夫人が言った。「よく言えたこと。あなたの夫の顔は木のこぶのようなのに。昼間見たらきっと驚きますわ」
 株杌の夫人はこの言葉が心に残り、衝立の裏に灯火を隠しておいた。夫が寝たのをうかがい灯火でその姿形を見て激しく恐怖した。そして、夜に駕籠を走らせて本国に逃げ帰ってしまった。朝、その事が発覚し、株杌(シュゴツ)は憂えて弓と法螺貝を手にその後を追った。
 太子はリッシバッサの国につくと、一臣下の家にとまった。六国の王たちはリッシバッサに絶世の美女の娘がいると聞いて得ようと欲し、兵を集めてその国にせまった。
 リッシバッサ王は苦悩し、群臣にどの国に再嫁するかを議論させた。「一国に与えれば他の国が恨んで兇敵になる、これをいかにすべきか」
 ある臣下は言った。娘を六つに分けて与えてしまえ、さすれば戦争はやむだろうと。
 ある臣下は言った。かさねて勇者を募集し、退けた者の嫁にせよと。そして国を分けて共同統治し、恩賞もさらに足そうと。
 王はその意見に従い勇者をつのった。
 時に株杌は弓と貝を持ち城より出でて賊に向かい貝を吹いて弓を叩いた。六軍は驚きあわて、恐怖で動けなくなった。
 そこで軍にとびこみ六王の首を切り落とし冠を奪いその兵を手中に収めた。
 リッシバッサは大喜びし、娘を与え大王として七国の一切の軍兵をあずけ、婦人とともに帰国させた。

※おとぎ話的ですが、元の鞘におさまったわけですね。

父王はこれを聞いて国境まで迎えに出たが、子が大軍勢を率いているのを見て国を譲ることにし、大王になれと言った。
 子は肯んぜず「父王がおられる限りはそれは理にかないませぬ」と言った。
 そして宮中に戻り夫人を責めた。「お前はなんで前に夜中、私を捨てて逃げたのだ」
夫人「我が君が極めて醜くかったからです。初めて見て驚き怖れました。これは人ではない、と」
 株杌(シュゴツ)は鏡で自分を見た。
 まさに切り株に瘤ができたようだ。
 その身がわずらわしくなり、林間で自殺しようとした。
 帝釈天がはるかにこれを見て下り、どうしてそんなことをするのかと問い、なぐさめようとして一宝珠を与えた。
「この珠を汝の頭頂に掲げよ。私と同じ端正な姿になれる」
 株杌はとても喜んで受け取り、頭の上につけた。
すると身長は倍になり変身するのを感じた。宮中にかえって弓をとり、外で戲れに射ようとした。妻は見てもわからずたずねた。
「あなたは何者です。それに触ってはなりません。夫が戻ったら痛めつけられますよ」
「私が夫である」
 妻は信じず言った。
「我が夫は極めて醜く、そなたは端正です。あなたは何者で、我が夫だと言うのです」
 株杌(シュゴツ)が珠をはずすと元の姿になった。
 妻は驚き喜び何があったのかとたずねた。
 夫はかくかくしかじかと語った。夫人はこれ以降夫を敬い愛した。株杌の名はこれよりなくし、須陀羅扇(シュダラセン)と言った。

 後に思い立って兵を率いて新たな宮城を作ろうと平らで開けた場所を求め、諸人によい場所はないかとたずねた。
 四龍王が人の形で訪問し、何を用いて城を作るのかと言った。
 須陀羅扇は土で作ると言った。
龍「どうして宝を用いないのだ」
太子「城が大きければ多くの宝が集まるだろう」
龍「汝のために四辺を整えよう。四大泉を作るのだ。汝の言うように、東の泉水を掘ればそれは琉璃(ラピスラズリ)に囲まれる。南の泉水を掘ればそれは金となる。西の泉水を掘ればそれは銀となる。北の泉水を掘ればそれは頗梨(水晶)となる」
 そこで勅をもって掘らせると、言葉通り宝の泉となった。そこで四百里四方の城を作らせた。また四十里四方の宮殿を作らせた。宮城と街路、楼観と家々、樹林に浴池。みな四つの宝できらきらと飾られ、天上のようであった。宮城の整備がおわると四方から七宝が集まり、それを使って民を教化し善をなさしめた。

※以前、クシャ王子がチューダーマニという宝珠をもらって美形に変身した話を紹介しました。
『賢愚経』はリアルを見ているので外見を飾ることの効果を説きます。都市も華美にした方が富み栄えるのです。

仏「大王よ、知るがよい。この時のマカシャキュウリなる者は、今現在の我が父浄飯王であり、母は摩訶摩耶であり、ターラゴウセなる醜い王子は
今の私なのだ。かの夫人は今の瞿夷(ゴーピカー。釈尊の最初の幼妻といわれる)であり、その父は今の摩訶迦葉である。兵力で嫁を求めた六国の王は今の六師である。あの時に私と女色を争い、私は彼らを傷つけて兵をうばった。
それゆえ今日に至って、ねたみ名利を争ったのだ。私と術比べをし、術なく心にかなわず投水自殺し、私に九十万人が弟子として帰依したのだ」
 ビンビサーラ王はまた言った。「ターラゴウセはそもそも何の福を行い徳力が強く姿は醜くくなったのか」
仏「皆因縁あってのことだ」

※ビンビサーラ王、しつこく食い下がりますね。ひょっとしたら、この時代はこれがよくある軽いかけあいで、王はお釈迦さんの当意即妙の答えを楽しんでいたのかもしれません。

 はるか昔、この世界にバラナという大国があった。そこにリシという仙山があった。仙山中に辟支仏がいてリウマチを患っていた。
 そこで油を飲もうと油屋に行きくれと言った。油屋は怒り、逆に叱責した。
「頭は木の瘤のようで切り株についたよう、手足は軸のように細い、そんな人でも他の家に頼りはしない。銭をはらわずに甘えてもらおうとするとはなにごとだ」
 しかし、叱った後に油かすをくれた。辟支仏は心中に甚だ敬仰し、油かすをもらって帰った。
 油屋の夫人は外から帰ってきて辟支仏を見、心から深く敬仰してたずねた。
「先生(快士)、この油かすはどこから持ってきて何に使うのですか」
 辟支仏はかくかくしかじかと語った。夫人は怒って鉢を取り油を満たすと、夫を怨み責めて言った。
「なんでこんなことをしたのです。油かすを布施するなんて。懺悔して過ちをのぞくべきです」
 油屋は心から悔い、粗略な扱いをしたことをわびた。
 夫婦はともに心から辟支仏に言った。「もし入り用なら毎日取りに来て下さい」
 こののち辟支仏は何度か油をもらいに来てその恩を感じた。
 油屋の前で神通力をあらわすと虚空に飛び、身より水火を出し、分身して合体してと数々の神変をあらわした。
 油屋夫婦はそれを見て大喜びし、ますます敬仰した。
 夫は妻に言った。「お前が布施した油で、私も福を受け果報が得られた」
妻「あなたが先生に悪口を言い、油かすを布施したのは清い心からではないでしょう。転生した先ではきわめて醜悪になるでしょう。あなたとは夫婦にはなれますまい」
夫「私はいつも苦労して油を絞っている。どうしてただで施せるだろうか。それがわからないのなら夫婦になれなくてもよい」
妻「もし妻となれば、あなたの姿は醜くく、夜中にあなたを捨てて逃げ出すでしょう」
夫「逃げても追いかけるさ」
 夫婦の会話は終り、辟支仏に向かって身心ともに帰依し。心から懺悔した。
辟支仏「汝らが油を布施したおかげで私の病はよくなった。汝ら夫妻は何を願うか。願いをかなえよう」
 夫妻は歓喜してひれふし願った。「天上の人に生れ、大王のように一切如意でありたい」

仏「大王よ知るがよい。この時の油屋がターラゴウセであり、油屋の妻がターラゴウセの妻である。この時に辟支仏に『木の瘤が切り株についたよう、
手足は軸のよう』と言って怒りとともに油かすを与えたがゆえに、そのような姿で生れたのだ。後に懺悔してよい油を布施したゆえに端正になったのだ。油を布施したがゆえに数千万人といえども勝てない怪力の人になったのだ。福徳の報いによって転輪王となり、世界のおいしいものを食べて五欲は心に従いえたのである。善悪の業はつきない。それゆえみな、道の要を思い身口意をつつしみ道行をせよ」
 これを聞いた者はみな、須陀洹、斯陀含、阿那含、阿羅漢になった。あるいは辟支仏となる善根を得たり無上道心を得たり
不退転の境地に達した。みな歓喜してうやまい仰せをうけたまわったのである。

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