賢愚経巻第三 阿輸迦施土品第十七

賢愚経巻第三 阿輸迦施土品第十七
(アショカ王が前世で土を布施した話)

 このように聞いた。仏が舎衛国の祇樹給孤独園にいたときのこと。
 朝、阿難とともに街に入り乞食をしようとすると、子供たちが道の真ん中で戯れていた。土で宮殿や家を作っていたのだ。蔵を作ると財宝と五穀を入れた。子供の一人が仏のところに来て、顔の光相を見て敬う心が自然とうまれ、歓喜踊躍して布施の心をいだいた。そこで蔵の中から五穀と称する土を仏に布施しようとした。
 体が小さく届かなかった。
 子供の一人が「僕が登ってお布施するよ」と言ったので「そうして」と言った。子供は喜んで肩までのぼり、土を仏に奉った。
 仏は鉢を下ろして頭をさげ、土を受けた。そして阿難に言った。「これを持って行き私の房に塗りなさい」
 乞食がおわり、祇園(祇樹給孤独園のこと)に帰った。阿難は土で仏の房の床の一辺を塗りつくした。その土はただ汚すのみであった。阿難は衣服を整え、仏に報告した。
仏「あの子は喜んで土を布施した。土は房の一辺を塗るに足りた。この縁の功徳によって、彼は私の般涅槃(入寂)の百年後、国王となるだろう。名は阿輸迦(アショカ)という。次の子供は大臣となるだろう。ともにこの世界の一切の国土を領有し、三宝を興隆せしめ、広く供養をし、舍利を世界中に広めるだろう。そして私のために八万四千の塔を建てるだろう」

※アショカ王の前世譚です。後から動いて、上に乗った方の子が王の地位に就いたのですね。

 阿難は喜び、仏に重ねてたずねた。「如来よ、その昔、どういう功徳があって多くの塔を建てるという果報が得られるのですか」
仏「阿難よ、よく聞くがよい。過去のはるか昔、波塞奇(ハサイキ)という大国があった。世界の八万四千の国をすべていた。時の世に弗沙(プシャ/Puṣya)という仏がいた」

 ハサイキ王は臣民とともに、仏と比丘僧を供養した。四事供養(衣服・飲食・臥具・湯薬の布施をすること)をして、敬慕すること限りなかった。
 この時王は思った。〈今この大国では人民はいつも仏を礼拝供養している。その他の小国では福を得る方法がない。我が国で仏画を描いて諸国に配り供養させよう〉
 そこで画師を招き勅をもって描かせた。
 絵師は仏の所に行き描こうとしたが、どこか一ヶ所を描こうとすると他の所を忘れてしまい描けない。さらによく見て描こうとしてもどこか抜けてしまう。時にプシャ仏はさまざまな絵の具を合わせ自ら自画像を描いて模写させた。そこで絵師は絵を仕上げることが出来、八万四千の画像が作られた。それは極めて美しく精妙にして端正でまさに仏のようであった。
 一国につき一枚配り、人民が花香を供えるよう勅命した。諸国の王と臣民は如来の像をえて歓喜し敬い奉つること仏身を見るがごとくであった。

仏「阿難よ、このときのハサイキ王は今の私だ。彼の世で八万四千の如来の絵を描き諸国に付与し供養させた縁の功徳によって、世々福を受け、天上人の間ではつねに帝王となり、生れては端正にしてことに美しく、三十二相と八十種好相をそなえた。この功徳の縁で自ら成仏にいたったのだ。私の涅槃の後、同じように八万四千の諸塔を建てる果報があるのだ」
 賢者阿難と会衆は仏の説くことをきいて歓喜したのだった。

※塔を建てられること自体が果報である、という発想が面白いです。

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