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法華三部経を読んで 『法華経』その1

6.妙法蓮華の会座

さて、今回から『妙法蓮華経』、いわゆる『法華経』に入っていこうと思う。

さっそく初めの頁を拝見すると、聴衆の中に「阿若憍陳如」の名前があることに目が行った。アーニャコンダンニャ。漢訳で了本際。そう、『大無量寿経』でも初めにその名を連ねておられる方で、釈尊のみ教えを一番初めに聞き開いてくださったお弟子さま。こうして『法華経』の会座にもご参集くださっていたのが、なんだか嬉しい。
その他にも、「摩訶波闍波提(マハー・パジャーパティー)比丘尼」は釈尊の養母であり、一番初めの女性出家者。「羅睺羅の母、耶輸陀羅(ヤショーダラ)比丘尼」は釈尊の御妃さまだ。

続いて菩薩さまのお名前を拝見すると、「文殊師利菩薩、観世音菩薩、得大勢菩薩、常精進菩薩、……弥勒菩薩」とある。
「三人寄れば文殊の知恵」という諺もある通り、勝れた智慧を具えておられる文殊菩薩。最近、現代語訳を読み始めた『維摩経』でも、維摩居士との仏法談義を、有り難く拝読させて頂いた。
阿弥陀三尊の脇侍として親しい観音菩薩や勢至菩薩。『大無量寿経』や『観無量寿経』にも、その勝れたお徳が説き述べられている。
常精進菩薩は口に聞き覚えがあるなぁと思っていたら、『阿弥陀経』の会座にその名が連なっていることに気づく。昨日、一昨日と自坊の永代経(新型コロナの影響で家族のみ)でちょうどあげさせて頂いたこともあり、思い起こせたのかもしれない。
そして、言わずと知れた弥勒菩薩。

さらに続きに、「韋提希の子阿闍世王」ともあった。『大無量寿経』と同じく王舎城耆闍崛山において説かれた『法華経』。そこには王舎城の悲劇、そして無根の信に目覚められた阿闍世王も、ご参集くださっていたのだ。
(ちなみに、異訳大経の『大阿弥陀経』や『平等覚経』には、阿闍世王たちも登場されている。もしご興味があれば、こちらの記事へ)

さて、『法華経』の会座にお集まりになった方々、ここを拝見するだけでも、すでに心が満たされてくる感じがしている。そしてこのような方々が集う中で、『妙法蓮華経』は説き示されていくのだった…

南無阿弥陀仏


7.文殊菩薩と弥勒菩薩、そして燃灯仏…

序品第一では、文殊菩薩が弥勒菩薩との過去世の御因縁を説き述べてくださっていた。そしてその中に、燃灯仏も登場する。その部分を、少し引用してみよう。

……日月灯明仏の八子、みな妙光を師とす。妙光教化して、それをして阿耨多羅三藐三菩提に堅固ならしむ。この諸の王子、無量百千万億の仏をくようしおはりて、みな仏道を成ず。その最後に成仏したまふ者をば、名を燃灯と曰ふ。八百の弟子の中に一人あり。号を求名と曰ふ。利養に貪著せり。また衆経を読誦すと雖もしかも通利せず。忘失すること多し。ゆえに求名と号く。この人また諸の善根を植えたる因縁をもってのゆえに、無量百千万億の諸仏に値ひたてまつることを得て、供養し恭敬し尊重し讃嘆せり。弥勒、まさに知るべし、その時の妙光菩薩は、あに異人ならんや、我が身(文殊菩薩)これなり。求名菩薩は汝が身(弥勒菩薩)これなり。このゆえに、今日の如来もまさに大乗経の妙法蓮華、教菩薩法、仏所護念と名づくるを説きたまふべし。
(國譯経一38頁)

ここは、『妙法蓮華経』が過去世の諸仏方から連綿と持ち続けられてきた御因縁を語られる、なんとも不思議な一段。

そしてここに、燃灯仏もチラッと登場するのが、また面白い。『大無量寿経』では錠光如来の名で登場する燃灯仏。燃灯仏授記では、過去世の釈尊であるスメーダ青年に初めて授記を与えてくださる仏さまだ。釈尊の求道、菩薩道は、この燃灯仏との値遇を機縁に始まっていく。
そのことを念頭において、上記の一段をそのまま拝読するのなら、文殊菩薩も弥勒菩薩も、実は釈尊よりさらにずっと以前から、菩薩道を歩んでおられた方々なのかもしれない。まさに不思議の仏智の世界…。凡夫があれこれ、はからうべきところではないのかもしれない。しかしながら、私はこうした広大な記述に、言い知れないロマンを感じている。

南無阿弥陀仏

つづく

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