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地下鉄のタイムトンネルをぬけるとそこは普通の街①

5年か10年に1度くらい(すごい大雑把)ひょんと行きたくなる街へ、今回は12年ぶりくらいで行って来た。

生まれた処ではないが私が0歳から20歳まで住んでいたその街へは、埼玉から私鉄と地下鉄とまた私鉄を乗り継いで2時間ほどで着くけれど、

敢えてJRに乗らないで行くのは地下鉄の方がタイムトンネルを抜けて行くみたいな気分になるから。
大田区へ行く時はいつも時間旅行…のつもり。

「体力のある今のうちにやりたいことを…」で『アイスショーに行きたい』の次に思い立ったのは、
「そうだ、雪が谷へ行こう!」だった。なんと安上がりな!

大田区と言っても広うござんすが、私の目的地はいつもだいたい雪が谷大塚近辺。
友人知人などもう誰も(多分)住んではいない街の、記憶にある道を辿りながらただひたすらぷらぷら歩く。

40数年前にこの街を去って以来、
ほぼ10年毎くらいに訪れているけれど、その間に駅舎は2階建てに改装され中にケンタが出来て(今は更にドトールになっていた)、
昔は屋根続きのバラック建てみたいな市場があった駅前商店街には、小ぎれいなスーパーが出来て、
1951年創立という小さな教会幼稚園は、緑色の屋根の新しい教会堂がオシャレに凛と建っていた。
私の家があった場所も、もうとっくの昔に外階段付きのアパートになり、幼なじみと一緒に宝物を埋めた路地裏は駐車場になってしまった。
いつも通る曲がり角の大きな銀杏の木も道路に覆いかぶさるように咲いた桜の木ももう跡形もない。

すっかり変わってしまったそれらを見に行くたび、それでもまだこの地があることに少し安心するというか、
かつては自分がそこに居たことに少しだけ感慨に耽ることが出来た。ほんの数軒、まだ辛うじて残っていた見覚えのある表札の名字や佇まいを見つけたりするとね。そこだけ時間が止まってるみたいな。


今回も行きの地下鉄の中で、
「まずは駅前からの家路を線路沿いに歩いてひと回りして、それから幼稚園と小学校もまた見ておきたいし、あのN銀村もどうなってるか見たいな。
アルバイトしてたパン屋は、もう既に廃業していて今はどなたが住まっているのかわからないので今日も素通りするつもりだけど、私に『将来パン屋とは結婚しない方がいいよ』と言ってたパン屋の若奥さん元気かな…」
などと歩くコースをいろいろ考えていたが、
駅に着いていざ歩き出すと、あっちもこっちもと色々横道に妄想が溢れてくる。
仲良しだった○○さんや秘かに好きだった☓☓君の家や、破門になったお習字の先生の家はまだあるかなとか…。

とりあえず踏み切りを渡り、自分ちに…と「いつもの道」を歩いて行くと、この辺で懐かしくなってくるはずなんだけどな、という地点に来ても何だか家並みがヨソヨソしいぞ。

かつての家の前の道まで来ると今までは、その道幅と距離感に「こんな狭かったっけ??」となるのが常だったけれど、今回はふと、
「あ、どこにでもある普通の道だな、ここ」
となった。
距離感については、昔は道の遥か向こうに神社の松の木のてっぺんが見えていた辺りに、イオンスーパーのピンク色の看板がやけに近いな…とは思ったけれど。

とあるふつうの住宅街…(左は現・検車区、昔は保線区と独身寮、もっと昔は警察署とテニスコートがあった所。いつの間にか生垣が出来たので道幅が余計狭く感じる。手前には道の上まで覆う桜の木があったが、それも切られた。


もうそこには知らない人が住む家や小さな集合住宅ばかりが並び、唯一残っていたご近所で一番古いお家もついに取り壊し?改修?工事中で、
大きな桜の枝が道まで張り出していた家のあたりは、何軒目かの建て替えの後に今は更地になっていた。
また景色が変わる。
もうここまで来ると面影も全然なくて懐かしくもないしタイムスリップもしない、どこにでもある普通の住宅街だな(当たり前か)。

私は本当に此処に住んでいたのかなぁ…と、記憶のかけらも郷愁もバラバラに舞い散って教会の鐘とともに諸行無常の響きがしたかも。
(ここの教会に鐘楼はありませんがイメージ)

まだ引っ越して10年後くらいの頃に、所々に昔のままが残っていた風景と再会した時が一番懐かしかった気がするなぁ。
そりゃそうだけどね…
などと思いつつも、元・自分の家の裏の、宝物を埋めた地面の辺りにも行ってみたけど、今はアパートの駐車場になっているのでウロウロすると怪し過ぎて、楚々くさと出てきた。
まあこんなものでしょう。

こういうことを「故郷は遠きに有りて云々」と言うのかな。自分だけの心の中で思い出して想い描いて反芻してるうちが花なのかしらん。
私の帰巣本能は、思い出の妄想の中でこそ強く発揮されるのかもしれない。なんて思ったりして…
次行こう。

ついでと言ったらなんだけれど、この道の先の同級生のHさんのお家も見に行ったら、車もなくてお留守のようだった。GWだし。
Hさんとは小学生の時からお家にもお邪魔する友達だったけど、中学から学校が別れてしまい最後にここでバッタリ会ったのは高校生卒業したくらいの時。
もうずっと連絡も取っていないのに突然ピンポン押していいのかどんな顔して会ったらいいのか、いつもご挨拶し損なっている。
今ここに住まっているのかもわからないし。
ちなみに私が中学生の頃、夕立ちの中を誕プレ届けたあとジャンプしながら帰って空へ飛びそうになったのはこのHさん家の帰りの、この道でした(知ってる人は知ってる)知るか。

ふと思い出す、
かのさだまさしさんは子供の頃、故郷長崎の街の空を飛んだ記憶があるそうで。
そのことについてはまた今度ゆっくり語りたいと思う。

「私はこの街で、この道から空を飛んだのかな…??」
さらに妄想は、枯野を駆け巡る的な勢いで記憶の世界を彷徨いながらも、現実の街で今と向き合いつつ、
なおも足取りは軽く進む、はずだったが、思うは易く歩くは…1時間も歩くと早くもへたばってきた。。

つづく