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「夏のおわりに」14年後の言い訳

夕立が道の向こうからやってくるのを見たよ
誕生日プレゼントを届けた帰り道
雨は灰色じゃなくて少し黄色い感じなんだね
いきなり目の前に迫ってきてみるみるずぶ濡れになった
でも なんだかすごくうれしくて
ジャンプしながら帰った
雨を伝って空まで登って行きそうに
サンダルが濡れてすべりそうだけどそんなことは忘れて
二の腕がだんだん冷たくなったけどそんなことも忘れて
この道をまっすぐどこまでも走って行きたいな
きれいに洗われた葉っぱが生い茂る桜のトンネルを通り抜け
大きな通りに出るまでのまっすぐの道
ここを走り抜けるあいだに
ぼくの体はきっと空に届くだろう
2007.8.29

ハックルベリーフィンが曲にして下さった「夏のおわりに」の元の詩です。


なんか、、気が抜ける詩だなぁ。書いた時はきっとよっしゃーと思ったけれど。曲になるとわかってたらもっと気合入れて書いたのに、、って入れてもたぶんこの程度。書いた時のこともあまり覚えていない。

でもこの情景を実際に見た時のことは今でもハッキリ、いや夢のように覚えている。古い記憶ほど。

中2か中3の夏休みだった。お盆の8月14日、小学生時代からの近所の友達(女子)の誕生日だった。
中学生になって学校が違ったら殆ど会わなくなっていたのに、誕生日になると急に思い出して駅前商店街のサンリオの店までプレゼントを買いに行った。品物は何だったか覚えていない。

そしてその足で家から500mくらいしか離れていない彼女の家を訪ねようと歩いていたら、何やら道の向こうの方がモヤモヤっと霞んできて、その薄黄色く見えるカーテンみたいなのがどんどんこちらに近づいて来る。
えっ?何だ、あれは??

と考える暇もなく、たちまち前からやって来た「分厚い雨の壁」の中に入ってしまった。

ええーっ!
雨が道の向こうからやって来るのが見えて一瞬でびしょ濡れになる体験は初めてだったので、私は何だか可笑しくて笑ってしまった。
友達の家はもう目の前だったから、そのままニコニコしながら玄関先に駆け込んで呼び鈴を鳴らしたが、、
彼女は留守だった。
出て来たお母さんにプレゼントを渡してすぐに踵を返すと、雨はもう小降りになっている。

夕立でびしょびしょになってしかも友達には会えず、踏んだり蹴ったり?かもしれないけど、何なのこの不思議な清々しさは。。

少し明るくなった空からまだポツポツと落ちて来る雨の中を、本当にジャンプしながら歩く中学生女子(私)。
雨の匂いと、洗われた木の葉っぱのつやつやした色。濡れたサンダルで滑りそうになる足元。空気の温度が急に下がって濡れた半袖の腕が冷えてくる。

そんな情景全部が、雨の魔法にかかったみたいな気がして、そしたらそうだ、この雨粒の線を伝って行けば空まで行ける感じがして、、それでジャンプして歩いた。笑
あくまでも個人の空想です。


この時の空想を何故か30数年後に詩にしたところ、
ハックルベリーフィンのまーくさんはこれを、てっきり私の孫の誕生日の詩だと思ったそう。

??何がなんやら????


でも出来上がった曲を初めて聴いてびっくりした。
もうどっちでもいい、孫でも友達でも。どっちにも聴こえる!!

♪いきなり目の前に 
あらわれたもんだから
笑っちゃうくらい
ずぶぬれになった
でもなんだかとてもうれしくて
ジャンプしながら帰った♪

まーくさん補作詞より

まーくさんのサビは舌っ足らずの元の詩を見事に形にしていた。それも、私が考えもしなかった、いきなり目の前に現れる(未来の)孫のことまで。

いきなり目の前に
あらわれたもんだから..

ああ、個人的に笑っちゃうくらい大変だった顛末が、もちろん偶然だと思うけれどこのフレーズで全部チャラになって行く思いがして(笑)、ホントに笑っちゃうくらい嬉しかった。

そして、夏の名残りの夕立のあとの爽やかな空と空気とサイダーのような..(私の表現ではこんなもんにしか言えません)じょうじさんの素敵なメロディーがついて、元の詩には勿体ないほどの曲になった。

まーくさん、じょうじさん、ありがとうございました。



蛇足
自分で書いておいてナンですが『二の腕』という言葉についてはあとからちょっと違和感があったけれど、それはスピッツの「ニノウデの世界」というタイトルを見た時から1度使ってみたかった言葉だったのでつい書いてしまったという言い訳は、今となればまあいいっか、という蛇足です。