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「地下トン」後記

「地下鉄のタイムトンネルをぬけるとそこは普通の街」、略して「地下トン」(←今思いついた)の街歩きから帰って来て、昔住んでいたところの風景が変わり過ぎていて全然ナツカシくなかったので、、
でも、それが故郷の「今」なんだよね、と思っています。

底の薄いコンバースで歩き疲れた足が帰宅後もあまりにジンジンと痛かったから、その日たくさん歩いて「時間旅行」しに行ったつもりが、最後は足の痛さで現実に戻ったみたいな感じで。

ふと『木枯らし紋次郎』の2番の歌詞が浮かぶ。

痛みは生きているしるしさ
いくつ峠を越えた…
故郷はどこにもない
泣くやつは誰だ
この上 何が欲しい…

作詞/和田夏十「誰かが風の中で」

かっこいい…。
「泣くやつは」の「や」の前に小さな「ぃ」が入って「泣くぃやつは…」となる上條恒彦さんの歌い方が、更にカッコいい。
…もっと続けたいけどこれくらいで。

過去を切り捨てた紋次郎がそれでも今だけに向き合いひとりで生きてゆくという孤高感。

それとはちょっとちがうけど、
すっかり変わってしまった街並みや、もはや昔とは違う景色でも、
その場所(空間)は今も同じところにちゃんとあるというだけで、私は何か安心する。
そこに自分がいなかった間にも同じだけの時間が流れて、
そして今この時も同じ時間が動いているんだと思えるだけで、オッケーな気がした。

翌日の早朝、日常に戻って家の前を掃きながら、
今頃あの街にも同じ朝がやって来て1日が始まっているんだなぁ、
多摩川は今日もあそこに流れていて、岸辺にはジョギングの人々が朝陽に光る川面を眺めながら走っているのでしょうなぁ、
などと思う。

自分の中でこことあの場所、今と昔が繋がっていて、
私は色々な繋がりをづるづる引き摺りながら自分の歴史を歩いているのだなぁ。
楽しい。

いつでも、あの場所に立ったら、そこは現在の場所だけれど自分の中では過去にも行ける場所。

などと、達観したのでした。
「達観」て言葉、タッカッカーンと笑い飛ばしてるようで爽快な感じがする。
(ソウカイ?とツッコミも自分で入れる。)


ところで、久々に多摩川と小学校を見て、校歌も思い出していた。
私の小学校の校歌には「多摩の流れのさざ波の…」と出て来る。
家でそれを50年ぶりくらいに歌ってみたら、
2番までは何とか一字一句覚えていたのに、3番の後半で行き詰まった。
2小節がどうしても出て来ない。
確か「○○は△△の☓☓だ」だったんだけど、
その3つの語句がどうにも思い出せない。他はカンペキなのに。
前後から推測して自分でそれらしく作詞?してみたがちっともピンと来ない。
不正解!

数年前、今は亡き母がある日「モモフネ チフネ イキカヨウ スミダノカワヲ ニシニシテ…」と、

自分の小学校校歌を口ずさんだことがあり(母の母校は墨田川のほとり)、
「よく覚えてるな…」
と感心して学校のHPを見たらすでに創立100周年を超えていて、校歌もその通りだった。

80年前の校歌を覚えている。昔の人はすごい。

私も自分の校歌を思い出そうとしたが、何としても出て来ない。学校のHPにも出ていない。

1週間くらい、頭をひねっていたけれど、
ふと思いついてmixi(そんなのまだあった!)を開いてみたら、以前地味に盛り上がっていた「学校を懐かしむトピック」が残っていて、
母校の校歌が3番まで投稿されてあった。おお。
そして3番のくだりは、

仰げ富士の峰 富士の峰仰げ
道は遥かに 開かれて
「風は世界の潮風だ」
↑ここ。

思いもよらない歌詞だった。
ここだけ全く記憶がない。何故かしらん。
ここだけ私がいいかげんに歌ってたとか?
なんだ「世界の潮風」って。
世界中の海を巡ってきた風が吹いてくるのか…
壮大だな。
そのあとは↓

平和日本の 夜明けの鐘が
鳴る鳴る○○○○校に〜

で終る。

それにしてもmixiが今頃役立つとは…
無事に、通して歌えるようになったのでちょっと嬉しいです。

考えてみたら、
今は亡き母(生きていたら91歳)と今の1年生が同じ歌を歌っているということは、すごいことかもしれないと思った。
そんなシーンにもし出会ったら、タイムスリップしそうだな。
やっぱり自分の校歌は覚えておこう。