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茅場町編それから

先月の茅場町編↓

実際、生まれ故郷では正確には19日間しか過ごしていないらしいので(しかも生まれた病院は新宿区)、
私に茅場町成分は、ほんのひとっ垂らしくらいしかないけれど。

小さい頃は、
「あんたは日本橋の橋の下に流れて来たんだよ…」
と、よく母に冗談言われていた。
モーゼか?

それでも私は茅場町で生まれた。と、最近自分で自分に言い張っている。

そこは、産院から帰って来て「さあ、ここがオウチだよ!」と、父母から初めて畳の上のベビーベッドにふゎっさ〜と寝かされたはずの場所だから。私の最初のHomeだから。

それから巡り巡って半世紀以上もたち、埼玉民にもなって久しい今頃に、そのHomeのことが詳しく知りたくなったのだった。
なぜ今に?

どうせなら、父や母が健在なうちにもっと聞いておけばよかったのに。
自分が生まれた町のことを聞く機会なんていつでもあったでしょうに、私はずっと興味がなかった。
「あーハイハイ、日本橋の橋の下に流れて来たんだよね、私は~」
と、いつも話は冗談へ逸れて行った。

十数年前に、元気だった母と散策した時に撮った茅場町の写真と、先月それを思い出しながらひとりでウロウロ歩いてやっと頭の中に入った茅場町の道筋と、それを家で予習復習したストリートビューと、
それから、遥か昔のアルバムからみつけた、父が写っているセピアがかったモノクロ写真。その頃は父の仕事場も茅場町だった。
それらを照らし合わせてアッチコッチ見比べては、
あとは昔の地図があれば家の場所も何となくわかりそうだなぁ、と思った。


日本橋図書館が1番近そうなので、一応行く前に電話で確認してみたら、
「昔の地図は、京橋図書館の【地域資料室】の方になりますね」と。
確かめてよかった〜。
私が見たい昭和30年前後の地域住宅地図の所蔵について丁寧に調べてくれた。

翌日向かった京橋図書館も茅場町から近くて、そこは新しくなったばかりで、大きくて広くて、郷土資料関係のスペースや展示もたっぷりあって、屋上庭園やカフェまでついている。
日曜日には1日遊んでいられそう!
いいなぁ、こんなデラックスな図書館が近くにあって!(つい地元民のつもりになってる)

その日は都内でお昼から友達との大事な約束もあったので、館内隅々まで見たい気持ちは次のお楽しみにして、
目的の【地域資料室】にのみ直行した。

まだ朝9時過ぎなので、お客さん?は、
広いテーブル席にひとり座って何やら資料を読むお爺様しか居なかった。
とても静か。

私も隣の広いテーブルを独占して、カウンターの司書さんが書架から出してくれた昭和33年の住宅地図帳と昭和28年の商工区分地図帳をひろげて眺めた。

父の古い写真の背景にあった建物の看板から、その撮影ポイントは旧「市電通り」(現在の平成通り)だとすぐわかった。
今はビルだらけだけれど、区画と道筋は昔の地図でもそう変わらず、そこに昔ながらの会社と商店と家がまだゴチャゴチャゴチャと混在している。
そして、日本橋消防署や坂本町公園の場所も変わらないので、いつぞや来た時に母が
「家があったのはこの辺!」
という所まではわかったのでしょう。

地図上でもまさにその辺りの旧番地の区画に、父の仕事場と私が生まれた家もあった。たぶん。
たぶん…というのは、地図には会社や商店は屋号が出ているけれど、借家は住人の苗字が出ているわけではないので、特定できないのだ。
大家さんでない限りは。たぶん。
だから、私の家はたぶん、この会社の裏かその辺り。
ショーコは、母が路地裏みたいなところの玄関前で撮った昔の写真に、表札が、ここの旧番地が小さく写ってる!

う~ん。たぶんが多い。
ここまでか。

父や母が生きているうちに、もっと詳しく聞いておけばよかったとますます思う。

私が知らないことがたくさんあった家族だったけれど、一応私が一番最後のひとりだし。
その家族がはじまった場所、私も最初のちょっとだけカスッた町は、なによりやっぱり自分がはじまった場所であって、家族に逢えた場所だから知っておきたい。


父と母、そして祖母、おジイさんへ

みんな仲良くしていますか?
横丁にあった天ぷら屋さん、今でも三代目が続けているようですよ。うちのすぐ裏です、知ってるでしょ?私は知らないけど。昔の地図でみつけたよ。

大きなビルだらけになった茅場町、今はどこから見えてますか?
私は、お気に入り(になったばかり)の図書館の地域資料室から、タイムスリップして覗いてみるよ。

もし行き合ったら、天ぷらでもご馳走になりたい。