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Gパンとトレーナーまたは究極の普段着

10数年ぶりの部屋の模様替えをぼちぼちと始めてからそろそろひと月。
限りあるスペースに収まるものは当然限られているので、色んな断捨離を迫られる。
楽しいながらも狭い我が家だから。
そろそろ自分の遺品整理も視野に入れておかないと、まだ早いやろと思ってるうちにあっという間だよ〜と自分を脅す。
まずは出来るだけ普段使いのものを必要なだけ置いておくのが理想だけど、
そうもいかないのが世の常、というか私の性。

一度思いっきり捨ててあとから大後悔したことがあるので、そう簡単に何でも手放さない方が良いことに気づいてしまったから。
例えば本とか本とか本とか、手紙とか手紙とか、かつての推しのサインとかサインとか…
もう!!
かと言って捨てて大正解だったものもあるので、取捨選択の難度は侮れない。
迷ったものを一時的に保留する保留箱を作りましょう…というテレビなんかでやる断捨離の極意的なアドバイスも頷けるけど、その箱を置く場所もないといけない。

一体何がそんなに大切にとっておきたいものなのか、ということだけれど、
まず本とかレコードとかCDとかDVDとかビデオは、普段使わなくてもいつまた読んだり聴いたり見たり手に取ってみたくなるかわからない。
今はサブスクの時代になっているけど多分ここにしかない無いソフトもあるし、何より手に取ってみると個人的思い入れと思い出がいっぱい←最終的にここに行きつく。
だからつい捨てずに溜め込むばかりになって、更に増えて行く。
もう先がそんなに無いんだからあとに残る人のことも考えなきゃいけないのに。

それで、せめて優先順位から考えて、本やレコードなどより執着のない「服」から片付けることに。

10数年前の大片付けの時に、昔の服はすでに大部分は処分されてる。
もともとフォーマル以外の「ちゃんとした服」を殆ど持っていなかったので、従姉妹や友達から貰い受けたお古(でもきれい)なスーツやコートは有り難く子供の学校の節目節目にとても役立っていたのだけど、それらももう着ないと思っていつぞや大処分してしまった。

今あるのは普段着とあとはちょっとしたよそ行きの服が数着だけで、もう20年くらい過ごして来た。
特にここ数年は町内から出る機会もなくて、箪笥の引き出しの中身は見事にGパンとTシャツにトレーナーだけとなった。
「それ普通じゃん。」
元来それらと作業ズボンしか所持しない旦那は多分そう言うでしょうけど、、究極の普段着のみの家族。
まあ、これで日々は回っていくので良いが。

スーツってなんだっけ…?
そう思って久しい。
ところが今までにもごくたまにあったんです。
冠婚葬祭以外の大人の用事でキチンと出かけなきゃならないタイミングが、一生のうちに数回?だけど、
顔合わせとか詫び入れとか…。
これからも一着くらいは持っていないと、もしかしたら困るかもしれない。

と、思い始めて今回、母の箪笥に吊る下がってたやや時代遅れだけどまだきれいでシッカリしているスーツやジャケットを少し取っておくことにした。
60代から着るならこれで御の字だよね(ホントかな)と、
いかにも適当な感覚は私の常です。
でも肩パットはいかにも90年代の遺物な気がしたのでやめたい。
結局スーツの選別は難しくて適当にしてしまったので、この先出番が無いことを願います、ほんとに。

それに比べてGパンとトレーナーの、時代を選ばず普遍的なものであることよ。
トレーナーは近年、世の中では部屋着やパジャマの扱いになってるかもしれないけれど、
80年代までは立派な通学服、若人のユニホームみたいなものだった。
特に大学のキャンパスにはサークルごとに名前を入れて誂えた色とりどりのお揃いのトレーナー姿がたくさん闊歩していたものである(←なんか、おじいさんが自分の学生時代を懐かしんで新聞のコラムに投書したみたいな文言)。

トレーナーはそのくらい馴染んでるし安心して着られるし、私など今でも制服みたいなもので毎日着ている。
もうこれとGパンだけあればいいわみたいな。

それで空いた箪笥のスペースにタオルなどを仕舞い、タオルの積んであった棚に本を並べ直し…←先週の日曜日にここまで終わった。
あともう少し空きそうなクローゼットに、溢れているCDやレコードが収まらないものか、、
日曜がくるたびに、部屋が少しずつ片付いていくのが楽しい。