次は上手く炊く
あちこちの病院を回り、たくさんの薬を飲み、治療を続けている。並行して検査も受けているので、スケジュールマスが「病院」で埋め尽くされてしまう始末だ。そういう時にありがちなことなのだけれど、「あまりありがたくはないがやるしかない」といった性質の仕事が残ったマスを丁寧に埋め立てる。Googleカレンダーがスマートフォンに次の予定を通知してくるたびに「承知しました」と口に出す習慣がついた。なんであれ、口に出してしまえば区切りになるし決心もつく。本当は承知なんかしたくないのだけれど、Googleカレンダーに反論しても仕方がないのだから、すごく助かる。
人生で初めて、鬱の来ない十一月を過ごした。
鬱よりも重たい身体的疾患が認識を埋め尽くしているだけなのか、あるいは(肉体はともかく)僕の精神が恢復を始めているのか、未だに判断がつかない。後者であればいいな、と思う。最近は、意識して「期待する」クセをつけた。なんであれ、物事がうまくいかないことが多い人生だったから、「期待する」ことに対する恐怖がいつもつきまとう。「このまま鬱が治ってくれるのではないか?」そんな期待と失望。
それでも期待することなしには新しいラーメン屋ひとつ入れやしない。次の電信柱まで歩き続けることだけが人生なのかもしれない。もう一つだけ、もう一つだけ、ケミカルブラザーズのミュージックビデオにはまりこんだような人生だって、少しずつ景色が変わっていく。そうあって欲しいと願う。
どれほど厳しい時期であっても、楽しいことと食い物は必要だ。
そんなわけで、子持ち鮎を仕入れた。本当はこのnoteも魚を炊く話になるはずだったのだけれど、月末にいろいろなことが隕石みたいに立て込んだので、具体的な話は来月に繰り延べさせてもらいたい。なにしろ、具体的な話というのは字数を食うものだし、そこには実際的な手順や実務的な水準が必要だ。凍った崖を登る技術と山頂で飲むビールの味はひとつながりだけれど、やはり分けて考える必要がある。うまい鮎の冬、うまいビールの冬。まだ踏み固められていない十一月の雪。
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