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桜が咲くのを待つくらいしかできない

 自分に出来ることはなにもないし、どうしようもない。そういう前向きに諦めた気持ちになるのはけっこう難しい。もちろん、ここしばらくのあれこれは僕の仕事にもそれなりの影響が出ていて、入る予定だった収入は結構な額が吹っ飛んだりもしたのだけれど。それは誰が悪いわけでもないのだから本当にしょうがない。世界はしょうがないの総体であって、そういう時には煙草でもくさくさ吸ってやりすごすしかない。と思ったらひどい風邪をひいて喘息の発作まで起きてしまった。煙草が美味しくないと人生が辛くなる、そういうところはある(喘息なのに喫煙はどうなの?というのは30代の課題として取り組みたいと思っています)。

 そういうわけで、大変なことが起きているとすぐに声を上げなきゃいけないような気がするのはなんとなくわかる。心穏やかに過ごすというのはけっこう難しいことで、気持ちと社会がある種の共振を起こしてキィーンと鳴り始めてしまうと、あとはもう声を出すしかないという感覚は僕にもないわけではない。僕みたいな共感性の弱い人でもなんとなく感覚はわかるのだから、まともな共感性を持った人にとってそれがどれくらい厄介なことなのかは想像できる。大変だろうなと思う。

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発達障害ライフハックのような実用文章ではなく、僕がライフワークとして書きたい散文、あるいは詩に寄っていくような文章を書いております。いろいろあって、「善い文章」を目指して書くようになりました。ご興味ありましたら是非。

玉雑記

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