気持ちはわかるし同情するよ、僕のときもそうしてほしい
こんなことを今更言っても仕方ないんだけれど、僕は発達障害者で精神疾患を患っている。これは単なる事実であって解釈は個人の自由だ。
僕はこの事実をポジティブなものとは一切考えていない。障害者の人生と健常者の人生、どちらかを選べるのであれば僕は当然に健常な方を選ぶし、それが選べなかったことについてとても腹立たしく思う。
多様性とか個性とか、そういう言葉を聞くと不愉快になる。昔は自虐的なジョーク(こんにちは!社会の多様性担当です!)にしてみたりもしたけれど、最近はそんな気分にもなれない。現実問題として、障害者を健常者と同じ賃金で雇いたい企業は存在しないし、インターネットに個人情報を暴露された僕は障害をクローズにして働くことも難しい。挙句の果てに、四十近い持病持ちの中年男だ。
障害者に生まれて良かったことは一つもない。健常で健康な人生が、良かった。仕方がないことは仕方がないとは思う。なので「何とか」する努力は人一倍、とまでは言わないけれど頑張って来た。「健常者みたいになりたいから頑張った」と言葉にしてみると、これがもう実に効率よく人生にうんざりできてとても便利なんだ。でも、実を言うと「健常者にみたいになりたくて頑張ったけどだめでした」の方がより事実に近いんだよ。台風の日に事実の様子を確認しに行った人は帰ってこなかったし、事実の濁流が突然人生を丸ごと押し流すことだってよくある。昨夜未明、ひどいことがありました。それからカピパラが温泉に入ってカツオは豊漁です、よかったですね。
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