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悲しいことにさえ気づかない人生を、もうやめます。本当に申し訳ありません。


 体調が戻りきらなくて、厄介ごとも重なって、noteの更新すらひどいありさまで、本当にただただ情けなく、申し訳がない。昨年、顎の骨が歯茎から飛び出したあれからだいたい一年くらい経って、大学病院をハシゴして(もっと専門的なところに紹介状を書きますね)、いろいろと追加の問題が発見されたりもして、本当にしんどい一年だった。痛かったし、苦しかったし、辛かった。顔の左右を通っている唾液腺と耳下腺、これが慢性的に腫れ続けた。膨れ上がったフグみたいな自分のツラさえすっかり見慣れて、実を言うと未だに完治していない。小康状態と呼ぶには厳しい、くらいの症状がずっと続いている。「単なる細菌感染とは思えないくらいヒドいけれど、国指定の難病だと確定診断を出すには根拠が弱い」そんな宙づり状態が、しんどい。まだまだ検査と治療の日々が続いて、針とか針金とかそういうものを、刺していくことになる。いくらでも刺して欲しい、僕は病気を治したい。

 しんどい出来事が、本当にたくさん起きる。自分や関わりのある人々について虚偽としか言いようがない誹謗が吹聴されていたり、それをたくさんの人が信じ込んでいたり、他にもいろんなことがうんざりするのにもうんざりするくらい、たくさん。流石にこれくらいの(詳しいことをきちんとご報告出来る日まで、頑張ります)状況になると、僕にもある種の達観が生まれてきたりする。つまるところそういう人はいて、そういうことは起きてしまうのだ。それに対して感情的に「怒る」必要なんて、まったくないんじゃないか? そういうこと。自分のビジネスのために必要な実務を行う、自分の人生や信用を守るために一つ一つ手を打っていく。たくさんの打ち合わせ、うんざりするほどの書類、悪い冗談みたいな量の保全物。それでも、このクソみたいな話の風呂敷は必ずきちんと閉じたい。それはつまるところ仕事なんだから。そう思っていたはずなのに。

 怒りを燃料に動くのは、もうやめよう。尊敬する人の訃報を受け取った日、道沿いに咲く満開の桜を眺めているとき、そんな当たり前のことに気づいた。不当なものに、理不尽なことに、クソみたいなクソに、可能な限り感情を持たない努力が必要だと感じた。飲食店のキッチンにごきぶりが出たら、それはもちろん清掃と駆除をやらなければいけないだろう。とても不愉快でめんどくさくてお金のかかることだけれど、ごきぶりに「うちのキッチンに出るな、ふざけるな」なんて激怒しても、そりゃあどうしようもない。だって、それはごきぶりなのだから。交渉も理路も通じない相手に出来ることは「実務的対処」しかないのだ。こんな当たり前に「気づく」ことが僕の人生には、よくある。本当に恥ずかしい。でも、大切にしたい。

「おまえはもう少し、欲とか得で動いた方がいい、その方がまともな商売人から信用される。正義とか怒りとか正しさとか、そういうのは大事だけれど、大事なものは宝箱にしまっておいて、必要な時だけ取り出せばいい」

 こんなアドバイスを友人から貰って、仰る通りですとしか言えなかった。「俺は得点なんて興味ない、卑怯なプレーをする奴が許せないだけだ」。こんな奴がサッカーの試合に混ざってたら、とてもイヤだ。商売の信用を守り利益を出し続けるには、面倒でコストのかかる実務的な対処をやるしかない、ゴールにボールを入れ続けるしかない。業務用コンロをバラして隙間に入り込んだ汚れ(これが小さいゴキブリの巣になるのだ)を取り除くのはめんどくさいけれど、大切な仕事だ。僕はそういうことを、ずっとサボって来たんだと思う。ごきぶりに怒る暇があるなら、やるべきことはいくらでもあるだろ? その通りだ。本当にその通りだと思う。利益とか信用とかお客様とか、書くべきものや伝えたいこと、本当に大切なものはたくさんあるはずなのに。あったはずなのに。

 感情は限りある貴重な資源で、その総量は年齢を重ねるごとに減っていくような気がする。悲しむべき報せを読んだ時、僕はどんな感情で何を考えたんだっけ? 信じられないくらい何一つ何も思い出せない。「ああ、亡くなったんだ」ただそれだけだったと、思う。認めたくないけれど。「お見舞いに一度伺いたい」なんて思っていたくせに、自分の不義理と怠惰を悔やみさえしなかった。存在するべき感情が、いつの間にか欠落していた。「許せない」みたいな怒りと苛立ちばかりを反芻していた。どう考えてもマトモなことじゃない。なんとか、変えていかなければならないと思う。怒りをゼロにするのは無理だとしても、それで視界のすべてが塗りつぶされるような人生を生きたくはない。そんなことではマトモな文章一つ書けなくなるだろうし、ついにこうして「書けない」事態が起きてしまった。もっと早く立て直しを行うべきだった。それはこの数か月に渡る僕自身の怠惰と怠慢の結果でしかなく、すぐに結果を出して復帰する以外に道は一つもない。

 仕事の合間に病院まで歩く道沿いには満開の桜がとても綺麗で、不意に自分は何もかも間違っているような気がして、実際のところ何もかも間違っていた。挙句の果てに、気づいた大きな間違いにつて深く考えることも、あるいは間違いを是正し業務を立て直す努力すら怠ってしまった。気づきの4月をドブに投げ捨て5月をもまた、救いようのない月にしてしまった。体調も、仕事も、なにもかも。結局まとめられたnoteはこの一本で、他はぐずぐずと崩れていくばかりで形にもならず、この文章さえひどく混乱している、とても商品や作品と呼び得るものではない。読者様への裏切り、それ以外の何物でもない。

 自分にとって大事なこと、大事な人、大事な感情、そういうものをひとつひとつ思い出して、仕事をします。明日こそは、来月こそは、来年こそは。毎日、毎月、毎年、繰り返してきた情けない決意を、この6月は必ず完遂する。仕事をしていれば理不尽なトラブルが起きるなんて当たり前のことでしかないのだ。この6月にそれを果たすことができなければ、僕に物書きとしての未来など、存在しようもないだろう。

 ごめんなさい、今月は許してください。
 6月は必ず、上手くやります。文章を、書きます。
 文章を書いてお客さまに読んでいただくこと、これより大切なことが存在するわけもありません。大切なことを、もう一度きちんとやります。やらせてください。どうか、もう一度チャンスをください。

 本当に申し訳ありません。6月は文章を書きます。仕事をします。

 必ず。 

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発達障害ライフハックのような実用文章ではなく、僕がライフワークとして書きたい散文、あるいは詩に寄っていくような文章を書いております。いろいろあって、「善い文章」を目指して書くようになりました。ご興味ありましたら是非。

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