書けなかった頃のこと、途切れた管、山のオーナー
物書きになりたいと初めて思ったのがいつだったか、思い出せない。ただ、サッカーをやらせてもバスケットボールをやらせても、あるいは柔道をやってもパっとしなかった僕にとって「これは得意だ」と自信を持てるものは文章だけだったし、作文コンクールにも飽きた頃になって詩や小説を書き始めた。その頃の文章はほとんど残っていないけれど、あのPCクラッシュには心から感謝している。若い時分の文章を後になってから読み返すほどしんどいことはそうそうない。
この文章も十年後にはそうなっているのだろうか、僕も二十代の終わりまで「十年先」は永劫の未来みたいな気がした。それが三十も半ばを過ぎた今となっては「すぐそこにある」ものとして感じられる。四十半ばとなった僕が眉をしかめてこの文章を読んでいないように、精一杯書くしかない。
最初の大学を辞めて(入学動機は主に「公務員になるために手っ取り早い」だった)文学部に入り、また文章を書き始めた。「文章でメシを食いたい」とはっきり定めた。当時の自分としては必死に学びもしたし随分書いた。もちろん、何一つモノにならなかった。僅かに残っている当時の文章を読むと「モノにならなかった」理由がよくわかる。彼の文章は、すべて一言に要約できてしまうのだ、”おれは文章が上手い”。当然のことだけれど、「上手さ」を見せようと書く文章なんて誰も読みたくない。まずそれをやめろ、と言いたいのはやまやまで、過去の自分に諫言をする方法もない。「おまえの努力は間違っているぞ」と言ってやったところで"あいつ"は耳にも入れなかっただろう。そういうやつだった、本当に申し訳ない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?