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習慣としての遺書

 僕には半年に一度くらいのペースで「遺書を書く」習慣がある。三十代になって身に着けた、ちょっとしたライフハックだ。

 この場合の遺書は二種類ある。
 一つは僕がこの世からいなくなったあと、ささやかに残るであろう権利や債権債務、あるいは法人や株式をどうするか、そういった法的かつ実務的なもの。これは専門家に相談しながら正式な形でとりまとめておくものなので、状況や方針の変化で時折書き換えをすることはあるにしても、定期的な習慣として「書く」ものではまったくない。

 もちろん、発達障害に加えて双極性障害まで抱えている人間(僕のことだ)は、生命保険すらマトモに入れないくらい自殺率が高い。それは単なる統計的な事実だし、現実問題として僕のような人間はそういう事態に備えて「実務的な遺書」を書いておく必要がある。でも、それは僕の人生に付随した面倒な実務的作業でしかなくて、「習慣」と呼ぶべきものではない。定期的に「習慣として書く」必要があるのは、もう一つの方。つまり、「法的でも実務的でもない」内容の遺書だ。

 本当に恥ずかしいことなのだけれど、僕は自殺未遂を繰り返して生きてきた。ペニスに差し込まれた導尿カテーテルの激痛で目を覚ます。手足はベッドにガッチリと固定されていてみじろぎ一つできない。必死でばたばたともがいていると、看護師さんたちがやってくる。呆れと同情と怒りが混ざり合った、あのなんともいえない表情。

「君は一度意識が戻ったあと、『何故死なせてくれなかったんだ』と散々に大暴れして、窓から飛び降りようとしたのを取り押さえられたんだけど、覚えてる?」

 本当に申し訳ありません、まったく覚えておりませんと謝るしかなかったこと。今後、自分自身にけじめをつけることになったとしても、医療機関に無駄なリソースの消費を強いるようなことはするまいと誓ってから、それなりに長い時間が経った気がする。意識不明で運び込まれて来た人間を救命したというのに、助けてもらった本人は「何故助けた」と激怒しながら暴れる、看護師さんとお医者さんの総出でなんとかベッドに固定し、鎮静剤を打つ。そして、目を覚ました本人は何一つ覚えていない。あまりに理不尽だ。ひどい話だと思う。ただただご迷惑をおかけした医療関係者のみなさまにお詫びする他ない。本当に申し訳ありませんでした。

 自殺未遂から帰ってきて、書いた記憶すらおぼろげな自分の「遺書」に目を通す。あれほど惨めな体験はそうそうない。それは可読性のある文章にすらなっていない。書いた本人が読んでも「こいつは結局何が言いたいんだ?」と思わされる代物だ。そんな経験が何度か(せめて一度で済ませるべきだと我ながら思うのだけれど)あって、僕の人生にはささやかな教訓と半年に一度の習慣が残った。

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発達障害ライフハックのような実用文章ではなく、僕がライフワークとして書きたい散文、あるいは詩に寄っていくような文章を書いております。いろいろあって、「善い文章」を目指して書くようになりました。ご興味ありましたら是非。

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