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雑記、いつかなにもかもだめになってしまったとして

 時間が経つのが早い。メディアから取材を受けたり打合せをしたり、とにかく一生懸命喋っているうちに時間が飛ぶように過ぎていく。色んなことが予定通りにいかなくて、本当に申し訳ない。上手くいってるのだろうか、それとも悪くなり始めているのだろうか、よくわからない。ただ、躁鬱の方は半年くらいかけてゆっくり上向いていっているところ。それでもたまにはずどんと落ちたり、また這い出したりしているうちに毎日が流れていく。

 パーティー用にシャンパンを買いこんだ。いつか開けられるためのシャンパンがセラーに眠っているのはとても大切なことだと思う。教えてくれる人より忘れさせてくれる人のほうがずっと素敵だし、伝えられなかった言葉の方がずっと綺麗だ。何がめでたいのかもわからないままたくさんの乾杯を重ねるみたいに生きていきたいのだけれど、なにもかもそう上手くはいかない。思い出せることなんか一つもないくらいうれしいことが欲しい。

 可能な限り「先生」と呼ぶのはやめてくださいとお願いしても、「はい」と答えなければいけないことが増え始めて。もちろん、僕も「先生」と呼ぶ人がたくさんいて。でも、やはり自分がそう呼ばれるのはなんだか全部間違ってる気がする。隙を見せてしまっているような気がする。「私は先生と呼ばれるにふさわしい人間です」と自認するのがとてもこわい。夜道に開いた穴が見えなくなってしまうんじゃないかという怖さ。

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1,514字
発達障害ライフハックのような実用文章ではなく、僕がライフワークとして書きたい散文、あるいは詩に寄っていくような文章を書いております。いろいろあって、「善い文章」を目指して書くようになりました。ご興味ありましたら是非。

玉雑記

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