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無職の水路、千円札と食パン、この先なんてなければいいのに

 仕事を辞めて、東京に戻って来たのは確か二十六歳の時だったと思う。それから僕は無謀な起業に打って出て「借金玉」になってしまうわけだけれど、そういう状況に入る前のちょっとした空白みたいな時間がそこにはあって、池袋のハローワークに通いながら失業保険を貰い、西武線沿いのローカル駅近くにあった妻の部屋に転がりこんで、何をするともなく過ごしていた。今思えば、人生で一番平穏で豊かな時間だったかもしれない。26歳というのは素晴らしい年齢だったと思う、自分には選択肢がまだまだ幾らでもあるような気がしていた。その僅か数年後には大借金を抱えた引きこもりになって、来月の家賃に怯えることになるなんて、この頃は考えもしなかった。

 妻の部屋は確か家賃が6万円くらいの木造アパートで、冬はとても冷えたし夏はおそろしく暑かったけれど、大量の本があって暇つぶしに困ることはなかった。失業保険が尽きると、妻は僕に気を遣って毎日千円札一枚のお小遣いをくれた。この千円をいかに使うかを考えるのが、今思い出してもとても楽しかった。煙草を一つ買って喫茶店でコーヒーを飲むと消えてしまう千円。でも、古本屋を回って菓子屋で団子を4本買ってお茶を淹れれば一日が豊かに過ごせる千円。散歩をして本を読み、家の近くにいる野良猫が触らせてくれないことを嘆き、妻が帰ってくる前になるべく安くて栄養のある夕食を作る。こんな生活がいつまでも続けばいいと思うところもあったし、いつまでもこんなことをしていられないとも思った。何かと何かの間にぽっかりと空いた空白みたいな時間。

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発達障害ライフハックのような実用文章ではなく、僕がライフワークとして書きたい散文、あるいは詩に寄っていくような文章を書いております。いろいろあって、「善い文章」を目指して書くようになりました。ご興味ありましたら是非。

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