ペテン師のタックル、ゆっくり歩く、楽しみを探して
ほんの少しずつだけれど、運動を再開している。とはいっても、つい最近までサウナすらドクターストップがかかっていた身の上なので、走ったり泳いだりなんてのはとても無理で、自宅の周囲せいぜい数キロくらいをゆったりしたペースで歩いたり、ちょっとした柔軟体操をしたりが関の山だ。ここから一体どれだけの時間をかけて回復すれば、バーベルを持ち上げたり人間と殴り合ったり取っ組み合ったりするところに辿り着けるのか、そういうことをなるべく考えないようにして、一歩ずつ運動靴を踏みしめている。
有酸素運動が苦手だ。特に、「ゆったりしたウォーキング」みたいなことが出来るようになったのは、三十歳を過ぎてからだと思う。あてどなく歩いていると、断片的な思考が次々に浮かび上がって絡み合い、頭がもじゃもじゃしてくる。これは発達障害特性のいわゆる「多動」から来るものなんだろう。ウォーキングは僕にとって「じっと椅子に座っていろ」と命じられたあの苦しみと大体のところ同義だった。二十代の頃は、「のんびり歩く」ことが出来る人なんてとても信じられなかった。妻は「ちょっと散歩でもしてきたら?」とよく言ってくれたけれど(ありがたいことだ)、「そんなことしたら悪化しちゃう」理由を未だに上手く説明出来た気がしない。
一方で、柔道や総合格闘技みたいな運動は大好きだった。スパーリングが始まれば頭の中から余計なものは吹っ飛んでいって、目の前の相手をブン投げたりブン殴ったり抑え込んだりすること以外はどこかへ消えてしまう。それは、汗まみれの真夏に頭から浴びる水くらいに気持ちのいいことだ。小外の一発も食らって膝をつかされたり、ジャブが一発鼻をかすめたりすれば最高だ。口の中に広がるあの金臭い味とともに、身体はまるで別人のそれみたいに動き始める。頭の中で果てしなく絡まり合うあのモヤモヤはどこかへ吹き切れ、心地よい高揚だけが残る。
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