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コンサータをまた飲み始めたこと、死んでやると飯を炊きながら。

 タイトルにコンサータが出て来ますが、発達障害ライフハックみたいな情報はこのエントリに一切含まれていません。そういう目的で読んでも得るもののないエントリであることを前置きさせていただきます。

 コンサータについては最近ツイ…Xの方でまとめたので、こちらを読んでいただければ幸いです。発達障害者やその周囲の人が切実に求めるタイプの情報は、無償で出すかさもなければ書籍で書く(なんだかんだ書籍の情報単価は素晴らしく安い)と決めているので、その点ご理解いただければ幸いです。

 月額500円のnoteは決して安い買い物じゃないし、生活の余剰で娯楽として、あるいは「たまには借金玉におひねりでも投げてやるか」みたいな気持ちで買っていただければうれしいです。もちろん、note記事が売れるのはすごくうれしいことです。いつもありがとうございます。

コンサータの情報はこのあたりにまとめておきました。
気になる方は読んでください。

 それでは本文。

「死んでやると飯を炊きながら、夜を越える」

 そんな歌詞を歌っていたバンドがいた気がするのだけれど、曲名が思い出せない。The Backhornのような気がするけれど、間違っているかもしれない。ただ、これはとてもいい詩だと思う。希死念慮の波にもみくちゃにされている時、「飯を炊く」のは素晴らしい対処法だ。もちろん、そんなことが出来る程度の状況であればということだけれど。食事を作ることは間違いなく「生きる」ための行動だし、余裕があれば「保存食を作る」なんてのもいい。人間は「まだ食べ物が冷蔵庫にある」くらいのことで安心できるし、何かを蓄える行為はとても前向きだ。それが出来ればということではあるけれど。出来ないものは出来ないのだから仕方ない。

 今月、料理のエントリがないのは情けない話、美味しい料理を作る気力がどこをどうひっくり返しても出てこなかったからで。「とにかく生き延びよう」と散々主張してきた人間がこんなことを言うのはなんだけれど、この数年で僕はこの考え方を撤回せざるを得なくなった。「病にも障害にもパニックにも殺されず、意思を持って終える」そういうラインまで、人生の撤退戦をすることになったのは忸怩たる思いがある。でも、出来ないものは仕方ない。もうこの考え方でしか身体を動かせない。

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738字
発達障害ライフハックのような実用文章ではなく、僕がライフワークとして書きたい散文、あるいは詩に寄っていくような文章を書いております。いろいろあって、「善い文章」を目指して書くようになりました。ご興味ありましたら是非。

玉雑記

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