さみしさについて
あと20分で何を書けるか考えて、恥ずかしいことを書こうと思いました。恥ずかしいことは読み返したくないし、恥ずかしいことを格好よく書こうとした場合、大抵は悲惨な結果が待っています。だから、今一気呵成に僕はさみしさについて喋りたい。まずは、僕がとても寂しい人間だということについて。
生まれてこの方、ずっと寂しかった気がします。若いころは、自分がクラスの中心に立つ人気者ではないことに、時には怒りさえ感じたような気がしました。あいつの回りにはあんなに人がいて、僕の回りには誰もいない。不平等だ。そういうことが「寂しさ」だと思っていました。しかし、人は大人になっていきます。人垣に囲まれている人たちも、決して楽ではないことがわかってしまいます。これはあまり理解したくない世界の真実ですが、いつも人に囲まれている人は、その状況を維持するため(あるいは維持させられるため)に膨大なコストを支払っている。僕にそのコストを払う気があったかと問われれば、「無かった」としか言えない。これは多くの人が「何故自分は人気者ではないのだ」という怒りに対して出していく結論だと思います。
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