痛みの解像度、正しい行動
「俺はもうだめだ、どうしようもない」
そんな風に考えたことが人生に何度もあった。これはとても不思議なことだけれど、自分を全否定してしまうとどことなく気分が楽になるところがあった。山のように抱え込んだ問題に「俺はもうだめだ」とフタをして、あとは酒でもかっ食らって寝た。目が覚めてもなにひとつ問題は解決していなかったけれど、それでも酒をかっ食らって寝ることが出来たというのは一つの成果には違いなくて。人生がどうしようもない局面にあるとき、じたばたせずに酒でもかっ食らって眠るというのはそれなりにマシな選択肢ではある。もちろん、毎日それを続けていたら死んでしまうけれど。
人生の問題を解決するには、痛みの解像度を上げるしかない。自分はどのようにダメで、どのように失敗して、今後はどうすればいいのか。具体的に物事を変えるには言うまでもないことだけど、具体的な行動が必要になる。そして、具体的な行動を可能にするのは具体的な思考そのものだ。でも、それは傷口に手を突っ込んでぐちゃぐちゃにいじくりまわすこととほとんど同義だと言っていい。自分が「どうダメか」を具体的に考えるなんて、楽なことであるはずがない。いじり方によっては傷口が化膿してひどくはれ上がってしまうことだって十分にあり得る。それなら「俺はだめだ」という低い解像度でとりあえずフタをしておくという選択肢はそれなりに合理的だ。
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