ひとつずつ諦めていく、無限もまた半ばを過ぎて
君たちの未来には無限の可能性がある、校長はそのようにスピーチを打ち切った。たぶん、それは小学校の五年生とか六年生の頃で、子どもたちはいささか落ち着きを失っていた。貧血でひっくり返った生徒を保健室に運んだあとの体育館に満ちたあの空気。そんなわけで、校長も特に考えがあったわけじゃないんだろう。とにかく話を巻きあげてしまう必要があった、貧血で倒れた子どもを無視して気持ちよくスピーチを続けられるほど彼は職務に忠実な人間ではなかったし、教師としての過度な義務感に駆られてもいなかった。つまるところ、校長はそれなりにまともな人だったのだ。君たちの未来には無限の可能性がある、そうやって話は打ち切られた。その通りだな、と思った。貧血で倒れた彼がそのまま帰らぬ人になる可能性だって、もちろんある。
未来には無限の可能性があった。中学校に上がり、「東京に行ってMAXの追っかけになりたい」という理由で人間を刺した同級生が出た時、無限の可能性についてより考えを深めることが出来た。兄弟で中古車屋を襲って車を強奪し、東京に向かったのだ。「いくらなんでもMAXはおかしいのではないか?」と盛り上がった議論の結果、それは誤報道であり「MAXではない、彼らはSPEEDの追っかけをやっていた」と訂正が来た時には幾分安心さえしたものだ。東京に渡る手段が「中古車屋を襲い、車を奪う」しかない子どもたちについて特段の驚きには値しない。彼らが知っている方法がそれだけだった、ただそれだけのことだ。とにかく南に向かえばいいと思っていたのだろう。それはそうだ、僕だってそう思っていた。
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