鮭のある風景
人生が辛いので、鮭を撮っていた。
何一つ問題は解決しなかったけれど、ちょっとだけ救われた気がした。東京はなんだか厳しい季節に入ってしまったようで、取引先や関係先と話をするたびに「それは仕方ない」と「お大事にされてください」を繰り返している。それは仕方ない、お大事にされてください。いつ僕が言われる側になるかはわからないし、基礎疾患もあるから不安じゃないと言えばウソになるのだけれど、そんなときは鮭でも撮って気分を紛らわすことにしている。
鮭が好きだ。最近はブリが安いのでそちらも魅力だけれど(北海道民にはなじみがなく、「ごちそう」魚だ)、やはり故郷の味には抗えないものがあり、こんがり焼いた厚切りの鮭を眺めていると心が安らぐ。実際のところをいうと、僕は故郷に対して「ロシアに売れ」「最低2回チャンスがあったのにソヴィエトが頑張れなかったせいで僕が出生してしまった」「滅びろ」くらいの感情を抱いているのだけれど、それでもやはり鮭はうまい。東京に文句をつけるところがあるとすれば、焼鮭定食に厚みが足りないことくらいだ。やはり、人間にも鮭にも厚みはあればあるだけいい。
故郷にいた頃、鮭は"ごちそう"では決してなかった。焼いて、ルイベで、いずし(鮭を米や野菜と乳酸発酵させる北海道の郷土料理)で、うんざりするくらい食べるものだった。デカくて引きが強く楽しい上、釣れるときは10匹くらい軽く釣れてしまうから、どうしても冷凍庫では「まだ去年のがあるな…」みたいなことが起こりがちだったし、友人知人におすそ分けに回っても「筋子だけくれ」なんて言われた。それでも、鮭を食べ飽きることはなかった気がする。鮭が好きだ、今もむかしも、きっとこれからも。
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