「出来ること」よりむしろ「出来ないこと」が大切
発達障害という概念は本当に捉えどころがない。知覚過敏のような身体的症状から、社会的関係構築能力の問題、物の整理が出来ない集中出来ないといった症状、あるいは疲労感のような身体症状が強く出る場合もある。何が言いたいかというと、自分に「何が出来るか」の前に「何が出来ないか、何が苦手か」を把握しないと始まらない。
「発達障害の人は一般的にこうです」というような話はインターネットを探すと幾らでも出て来るけれど、「まさしくお手本通りのADHD」とか「ピッタリASD」という人はほとんどいない。大体の人が、様々な症状が混和したうえで更に成育歴によってそれぞれの困り方をしている。とりもなおさず、これは自分のことは自分で理解するしかないということになる。
このエントリの一つ前で、「発達障害を受容することは苦痛を伴う」という話をした。その苦痛の上にもう一つ乗っかって来る問題は、自分の特性を正しく理解するということの困難さだ。しかも、ある時は出来たことがまたある時は出来なかったりするからタチが悪い。調子がいいときと悪い時の出力差が尋常じゃないほど大きいというのも、発達障害一般によく見られる症例だ。自分のことがわからない、という問題はとても大きい。
「あなたは何が出来るんだ?」
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