「二度と触れられない」ということ

数日前に父が亡くなった。

癌にかかり、二年ほど前からは本格的に闘病生活を送っていた。その頃から、もうあまり長くないと聞かされており、それ以降聞かされる寿命が延びることはあっても、心のどこかで父の命の終わりを意識していた。
そういった経緯から、覚悟というか心の準備ができていたこと、これからの生活が大変だとみな思っているからか、葬儀中・葬儀後も、家族みな派手に悲しんだ様子を見せる、ということはなかった。(一人のときに悲しむことはあったかもしれないが)
私自身、一筋二筋涙が出ることはあってもわんわん泣くことはなかった。というよりも、いまだに「亡くなった」ということが実感として湧いてこない。これは他の家族も同じように感じているようで、家族との食事中や、テレビを見て休憩しているときでも「ただこの場にいないだけのように感じる」ということばが何度も会話に出てきた。実際、生前父は他の家族が一緒にテレビを見ているときでも一人だけ違う部屋でテレビを見たり、食事中に一人だけ席を立ってあとで食べたりしていたので、家族の輪の中に父がいないという状況が割と普通だったからだと思う。

未だ実感がないのは、亡くなったということを深く考える余裕がなく日が過ぎているということもあると思う。とうとう亡くなったという連絡を受け、片道8時間かけて帰省し、その期間中も葬儀や来客対応、各手続きで慌ただしく、あっという間に今日となった。やっと多少落ち着いてきたため、一度今の心情を振り返り、まとめようと思いnoteを開いた次第である。

実感があまりないとは言っても、ふとした瞬間に「ああ、もう父はいないんだな」と感じることはある。例えば、実家の仏壇の隣に、葬儀で使った花の祭壇の一部と遺影、父へのお供えを置いている。葬儀後、帰省中は頻繁にそれを目にしていた。(毎朝のおはよう、毎晩のおやすみの挨拶と、置いている線香と蝋燭の火が消えていないか確認するためによく見に行っていた)
そうしていると、「今の父の部屋はこの一角なんだなあ」としみじみ感じられてくる。また、この写真の人はもう”いない”んだな、ということは、この写真の人はこの前までは”いた”のか、”いない”と”いた”の違いはなんなんだろう、などぼんやりと考えはじめてしまう。

まだ私が「死ぬこと」を理解するには時間が足りないのだと思う。もしかしたら時間が経ったところで今以上に理解できることはないのかもしれないが、それも時間が経たないと判断がつかない気がしている。
ただ、「死ぬこと」がどのようなことか考えたときに1つ要素として挙げるとするならば、それはタイトルにした「二度と触れられない」ということだ。

亡くなった父が家に運ばれたのち、棺に入れられ焼かれるまで、(もしかしたら良くないことかもしれないが)顔をよく触っていた。生前の父ならば顔を触れられることなど絶対に嫌がってさせてくれなかっただろうから、なんだか不思議な気持ちになりながら、その冷たい頬を撫でていた。まるで人形のようだ、とか、目開けたらどうしようね、などきょうだいと話しながら。こうやって頬を撫でられること自体、父がもう亡くなっているということの証拠だな、など考えながら。

父が骨と灰になり出てきたとき、その姿があっけなさすぎて力が抜け、不謹慎ながら笑ってしまいそうになった。さっきまでは触れられる肉のあった父が、もう父かどうかすら分からない状態となって目の前にあった。その時が一番、父の死を実感した時かもしれない。もう触れられない、もう父の形を見ることができない。生と死の境はここかと感じた。

家族は、もっと会話しておけばよかったと言った。私も父のことは正直よく知らない部分が多いが、父はあまり話さない人だった(と思っている)し、病気が進んでからは声が出る状態ではなかったから、多少話していたとしても悔いは残っていたと思う。
私は、会話よりも、もっと触っていればよかったと思う。寝かされている冷たくなった父を最初に見たとき、触れるのが怖かった。生きている体と死んでいる体の違いを意識してしまい、なぜか「汚れる」ように感じてしまっていた。躊躇わずにもっと触れていればよかった。手を握っていればよかった。

落ち着いていろいろと考える余裕ができたら、その時にはまた文章にまとめたいと思う。今日のところはここまで。

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