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心に虚しさが住み着いた話

今日の調子はそんなに悪くはない。

良くもない。

なんだろうか、この心理状態。


前の記事で「憂鬱」という言葉についてだらだらと駄文を並べたが別に悲しくもなければ辛くもない。一言で言えば心の中に何もない。なんと言葉で表すべきか? ふと「虚無」という言葉が頭に浮かぶ。なるほど、非常に近い。つまり私はなんだか虚しいのだ。


そもそも「虚しい」とは何なのか?

辞書を引いてみる。



虚しい

1.内容がない。

2.無益である。無駄である。

3.かりそめである。はかない。



まず「内容がない」はそのまますぎる。実際に心に何もないのだから虚しい。そのままだ。


次に「無益である」「無駄である」だが、そもそも人生はそういうものだ。いくら金を稼ごうが、いくら知識を詰め込もうが、いくら地位や名誉を築こうが、墓場には何も持っていけない。言わば全てが「無駄」「無益」ともいえる。全くの極論。だが、それについて憂いているのかと言われればそうでもない。死ぬときは死ぬ。そのときまで生きる。自由気ままに窮屈に生きているが不満はない。


それで問題は最後の「かりそめである」「はかない」だ。わけがわからない。辞書を引いてまた意味の分からない抽象的な言葉が出てくる。もやもやする。「今何時ですか?」と尋ねて「逆に今何時だと思いますか?」と聞かれた気分だ。知るか。


仕方なく「はかない」でまた辞書を引いてみる。



はかない

確かなところがない。淡く消えやすいこと。



なるほど。合点がいく部分もある。

自分の心には「確かなこと」というものは言われてみればない。人生の明確な目標もない。アドラー心理学の都合の良い部分を噛った自己啓発セミナーで「だから君は駄目なんだ。1年後になりたい自分を想像しろ。常に上昇志向を持て」だの叱られそうな状態だ。だが明確な目標を作ってどうなるかという話だ。1年後には正職に就いてキャリアアップを目指したい? 今の安定しない鬱病の状態で? それなら1年後には鬱病を完治させる? 「完治させる」と息巻いて治るものではない。重度の鬱病にかかって3ヶ月で職場復帰して1ヶ月後に自殺未遂を起こした自分が一番分かっているではないか。


こうした思考の堂々巡りをしていると「なんとまあ人生は空虚なことか」という結論に落ち着いてしまう。ふりだしである。


この駄文を書いている間に友人からまた盆休みに帰るとの連絡を受けた。以前に子どもの似顔絵を描いて贈った友人だ。なので「前は時間の都合で子どもの絵しか描けなかったから君と奥さんの絵もそのときに送るよ」と返信した。こういうノリで勝手に作業を引き受けるところが私にはある。


さて約束した以上は仕方ない。体調もそんな悪くはないし書いてみるか。ふと気付いたのだが今あれほど悩んでいた「虚しい」というものが消えている。合点があるとすれば、何か目標が出来たからだろうか。私はこれから友人の絵を描く。どうやら「確かなこと」というものはこの程度のことでもいいらしい。案外人間単純なものだ。


無論、似顔絵を描いても私に利益が入るわけでもない。虚しいことなのかもしれない。ただ友人と会ったときにまた似顔絵で喜ぶ姿を見てみたい。その程度の小さなことでいい。

私は小石にぶつかりながら流れの中でただ生きている。

著・社会不適合うさぎ
2024/06/29

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