なぜ本を読むのか

年末年始、実家に帰ろうと思っていたが、新幹線の予約をとり忘れて帰省でず、今年も東京で過ごすことになった。

時間ができたので積読していた本を読むことにした。マイケル・サンデルの「実力も運のうち」を読み終え、今はジョナサン・スウィフトの「ガリバー旅行記」を読んでいる。

ふと、自分はなんで本を読んでいるのだろうかと思った——そして、答えも本の中にあった。

脳は訓練で鍛えることができる。槙島が本を読むのも体を鍛えるのも脳を鍛えるためだ。脳の機能は学習によって強化される。

深見真著「PSYCHO-PASS(ノベライズ版)」より

ミァハはそうやって文字の海を泳ぐうち、自分をいかにして社会的凶器として研ぎ澄ますかを、日々学んでいったようだ。

伊藤計劃著「ハーモニー」より

俺が本を読むのは、脳を鍛えるためであり、思考を研ぎ澄ませるためだ。

本を読めば読むほど、人と話が合わなくなる。

本を読めば読むほど社会性が損なわれていく。

「わたしって、じゅうぶん鋭いと思う……」
それもミァハの口癖だった。
何にとってじゅうぶん鋭いのか、それは訊くまでもなかった。
公共の敵として。
この、木綿で首を絞めるような、優しさに息詰まる世界に徒なす日を夢見る狂犬として。

伊藤計劃「ハーモニー」より

本を読めば読むほど、社会不適合者として研ぎ澄まされていく——その瞬間が好きで、俺は今日も本を読む。


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