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「サルビアの花」早川義夫  ~深い喪失感をうたった歌~ <あの名曲を歌ってみる> Cover

1972年、「もとまろ」という女性3人組が歌って、それなりにヒットした。けれども彼女たちはプロになるつもりがなく、これ1曲のみで表舞台から消えてしまった。

作曲したのは、元ジャックスの早川義夫。詞を書いたのは、彼の友達だという相沢靖子。早川義夫のソロ・デビュー・アルバム『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』に収録されている。その後は、ライブでも歌っていて、彼の代表曲といっていい。

さすがに、だれもが知っている名曲、とは言えないだろう。この曲を知っている、そして好きだというのは、かなり年代的に限定されるはずだ。

ちょっとネット検索してみると、“ストーカー男の歌で気持ち悪い”などと書いてあるものもある。そうか、いまどきの人には、わからんよなぁ、これは・・・と思う。

作詞の経緯は知らないけれど、ダスティン・ホフマン主演の映画「卒業」を連想する歌詞であることはまちがいない。「卒業」の場合、まだ学生であるダスティン・ホフマンが、妖艶なマダムに誘惑され、若いツバメとなる。そして、そのマダムの娘と恋に落ちてしまうのだ。しかし、娘はマダムの策略で他の男へと嫁がされる。そこで、彼は結婚式場へ乗り込み、花嫁を奪い去る。ラストは、ドラマチックで印象的なシーンだ。愛し合う二人が結ばれるというハッピーエンド。グローイングアップストーリー、青春映画というヤツだ。

「サルビアの花」の場合、どういう事情かはわからないが、すくなくとも彼女は自分の意志で他の男へ嫁いでゆく。彼はあきらめきれず、結婚式に駆けつける。けれども、彼女はチラッと一瞥を投げるだけだ。彼は、泣きながら、転げながら、彼女のあとを追いかけるしかない。なんとも情けない結末だ。

彼女に嫌われたにもかかわらず、それが理解できずに、結婚式まで押しかけてしまう勘違い野郎、たしかにそう解釈すれば、サイテーな男の歌だ。

しかし、これをストーカー男の歌だと解釈するのは、この時代の空気を知らないからだ。

この曲がヒットしたのは、連合赤軍の浅間山荘事件がテレビ中継された1972年。この中継は、最高視聴率89.7%だったという。とにかく日本中の誰もが見ていた。この事件によって、戦後の左翼運動は、完全に潰えた。

1970年、安保闘争の敗北&左翼運動の解体・分裂、その一方で、大阪万博が派手に開催され、世の中には、なんともいえない敗北感と挫折感、一方で能天気な浮かれ気分とがない交ぜになった、不思議な空虚感が漂っていた。

その挫折感や敗北感の交錯した空虚な時代の空気を、うまく掬い取ったのがこの歌だったと思う。作者たちが、どこまでそれを意識していたのかはわからない。まして歌っただけの「もとまろ」のメンバーが、どう思っていたのかもわからない。

ただ、大きな時代の流れに裏切られ見捨てられた人たちの、やり場のない喪失感が、ここには色濃く刻印されている気がする。それが、早川義夫の、とてもナイーブな存在感とあいまって、この歌はある種の普遍的な情感を表現する歌になったといえる。

この時代を知らない人には、わからないのも無理はない。もう遠い時の彼方へ霞んでしまったけれども、政治運動が自分たちの使命だと、本気で思い込んだ人たちが、いつしか時代状況にスルリと身をかわされてしまって、ふっと気がつくと、自分たちは寄る辺のない無意味な空洞のなかに包摂されてしまっていた。「これはいったいどういうことだ?」という戸惑いと「そんなはずはないだろう!」という危うい信念と「仕方ないかもしれない」という諦観と、掴みどころのない、いろいろなそういうものが、自分でもうまく捉えられないままないまぜになった心情、それがこの歌が暗喩するものなのだと思う。

歌というのは、いろいろなことを表現する。歌詞に書かれている言葉の、表面的な意味だけを見ていても、その歌の情感がどこからやってくるのか、わからないこともある。

もちろん、時代が変わったことで、わからなくなり、色褪せてしまうのであれば、その表現は、残念ながら普遍性には届かなかったというほかない。

でも、この歌は、まだ、ある種のアクチュアルさを保っていると思う。そのアクチュアルさは、いまいった1972年頃の“時代の空気”というのとは、すこし違う。それが何か、うまくは言えないが、人間というのは、ここに歌われているような普遍感情をもっている、ということだと思う。

「サルビアの花」 
作詞:相沢靖子 作曲:早川義夫

いつもいつも 思ってた
サルビアの花を あなたの部屋の中に
投げ入れたくて
そして君のベッドに
サルビアの紅い花 しきつめて
僕は君を死ぬまで 抱きしめていようと

なのになのにどうして 他の人のところへ
僕の愛のほうが すてきなのに
泣きながら 君のあとを追いかけて
花ふぶき 舞う道を
教会の鐘の音は なんて嘘っぱちなのさ

扉が開いて 出てきた君は 偽りの花嫁 
頬をこわばらせ 僕をちらっと見た
泣きながら 君のあとを追いかけて
花ふぶき 舞う道を
ころげながら ころげながら
走り続けたのさ


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