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【三猫物語】<その 12> 保護猫の会、結成!


黒田さんは、保護猫&保護犬の活動をする会の猫担当であった。けれども、その会の他のメンバーとは、あまり折り合いがよくなかったらしく、いろいろと揉め事があるようだった。長年ふり積もったものもあったのだろう、いよいよ黒田さんは、その会と決裂することになった。

そこで、黒田さんを中心として新たに保護猫の会を立ち上げるというような話が持ち上がった。保護猫を譲ってもらってはじめて猫飼いになったうちの相方が、俄然、猫愛に目覚めてしまい、保護猫活動にも共感していたから、それに参加するのだという。

屋外にいる猫を保護することにかけてはプロである黒田さん。そして、もうひとり、仔猫の世話にかけてはプロである須藤さん。乳離れする前の仔猫の世話は、とても大変。キホンは24時間付ききりで、ミルクを飲ませたり、排泄させたりしなければならない。この二人の“オジサン”が中心メンバーである。

黒田さんは、猫愛にかけては万人を凌駕していたが、人間愛には多少難があった。というのも・・・すこし、というか、いや、けっこう、というか、いや、ずいぶん、いや、はなはだ、気難しいところがあるのだ。それとは打って変わって、須藤さんはとてもやわらかい人柄。まあいわゆる凸と凹なので、いい組み合わせなのかもしれない。

保護した猫たちは、小さい仔猫や難しい病気などでなければ、数人の預かりさんがボランティアで引きとって面倒を見る。これについては、「そら」を育ててくれた例の女性、そしてうちの相方、他にも数人いたので、どうにかなるだろうと見通しがついていた。

問題は、まず譲渡会の会場である。屋外で暮らす猫の数はまだまだ多い。繁殖の季節が過ぎると、あちらこちらで仔猫の姿が見受けられ、それらを保護していると、保護猫の数はどんどん増えていく。保護猫の会を運営するには、譲渡先(里親)を見つける手段を持たないと、すぐにパンクしてしまう。

だが渡りに船とは、よく言ったもので、ちょうど、このころ、近所に佛川動物病院というのが開業した。院長の佛川さんは、まさに佛のような人で、保護猫活動にもたいへん理解があり、保護した猫の健診や去勢手術などを格安の料金で引き受けてくれていた。

黒田んさんは、何軒かの動物病院と懇意にしていたが、とくにその佛川さんが保護猫に理解が厚かったので、会場の件を相談してみた。すると、毎月一回、診療の休憩時間に病院の待合で、譲渡会を実施することを快諾していただいた。神対応、いや、佛対応である。

さて、残る懸案は、譲渡会の告知手段である。佛川動物病院にチラシ等を貼らせてもらうことはできるが、病院へ来る人はすでに動物を飼っている人なので、その人たちのみに告知しても大きな効果は望めない。

わたちたちが「そら」を譲渡してもらったときは、電柱に貼ってあるポスターを見たのだった。しかし、電柱にポスターを貼るのは違法ではあるし、なによりその手間はバカにはならない。いやいや、ここはさすがにインターネットでしょうという話になった。

が、さて、そうはいっても、黒田さんはじめ、なにせ高齢者の集まりなので、インターネットはハードルが高い。

そこで、うちの相方が、広報の担当をすることに決まった。知り合いに頼んで、破格の料金でサイトをつくってもらい、譲渡会にあわせて毎月ページを更新するという役割だ。

「じゃあ、会の名前を決めないとね」
記念すべき第一回会合は、佛川動物病院の前のドトールではじまった。
「わかりやすいのがいいな」
「名前で、どの地域か?がわかるといいねえ」
・・・と、まあ、そんなこんなと、いろいろと知恵を絞りつつ。
「じゃ、このあたりの地域名称の頭文字を取って・・」
「根岸、小林、野々宮、下井田、浅沼、和田、瀬の森」
「うん?」
「ね、こ、の、し、あ、わ、せ」
「おお!?」
「ちょっとまって ええと ね? はい こ? うん の? なるほど し? ほう あ? へえ わ? やはっ せ? 」
「すばらしい!」
「いいね、それ!」
「うん、それで、いこう」

・・・というわけで、新たな保護猫会「ねこのしあわせ」が発足したのでし


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