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【三猫物語】<その 14> 猫にも、個性があってよいのだ!

さっそく黒田さんが、「こはる」をお見合いに連れていってくれた。長年いっしょにいた猫が、老衰で亡くなったから、また捜しているという方だった。亡くなってすぐは、さすがに次はやめておこうか?と思ったのだという。けれども時間が経つうちに、やっぱりずっとそばに寄り添ってくれていた存在がいないということの寂しさがつのって、またいっしょに暮らせる猫をさがしはじめたということだった。

「こはる」は抱っこもオーケー!

飼育環境は、黒田さんのお眼鏡に適ったのだから大丈夫。「こはる」は、初対面でも人見知りをすることなく、とにかく愛想がいいので、とても気に入っていただいたようだ。そんなことで、嫁ぎ先は、めでたく決まった。「きっと、しあわせになるんだよ!」と、まるで娘を嫁にだしたような気分。

さて、問題は、「こゆき」である。うちへ引き取って三ケ月は過ぎたが、いっこうに武装解除する気配がない。いや、もちろん、当初に比べれば、いくらかは柔軟になったともいえる。しかし、“人間に媚びるなんて、まっぴらごめんさ!”そういう頑なさは微塵も崩さない。

ごはんはちゃんと食べているし、ちゃんと排泄もしているので、まあ大丈夫っちゃあ大丈夫なんだろうけど。ツンデレというべきか、プライドが高いというべきか、そう簡単には懐柔されませんよ!っと、三角まなこが主張している。

人間でも、そういう感じの人は、いる。生きものには、やはり個体性がある。スケールが違いすぎてわれわれには判別できないけれど、たぶん、アリやミジンコにだって個性はあるだろう。ましてや猫ともなれば、セキツイドウブツの仲間として、かなりの部分われわれと共通だ。

猫には、感情があり、表情があり、理知のようなものがある。理知はオーバーだろう、というなかれ。猫は猫なりの基準によって、いろいろな判断をしている。暖かい場所をよく知っていて、必ずそこで寝ている。

それは本能でしょう、という人もあるかもしれない。けれども、本能というのは、もともと自然に組み込まれているものを指すはずで、家屋という人工的環境のなかで、暖かな場所を確実に選び取る判断は、これは理知の能力だろう、と思う。

まあ理知には異論はあっても、感情や表情のようなものは、多くの人が認めるはずだ。愛想がいいというのは、世界に対する親和性の発現であり、内向的気難しさは、世界への恐れや不信からやってくるとはいえるだろう。猫にも原初的な思想性のようなものがあるのではないか。

もちろん、ただの人見知りは、時間とともに、親密性に転換する。人間の子どもは、そうである。「ナメコ」も、そうであった。当初の極端な人見知りは、慣れると、過度の親密性にかわった。でも、みんなが同じであるわけではなく、それぞれに、それぞれの個体性を保っている。


トカナントカ、屁理屈を捏ねているあいだに、僥倖はやってくるのだ。ついに「こゆき」にも、お声がかかった。やったね!

ケージから出た「こゆき」ごはんを前にしても警戒は解いていない


いや、なかなかどうして、「こゆき」は美形なのだ。声がかかるのは当然だろう。

お声がけいただいた方のところは、すでに先住猫がいて、もう1頭捜していたのだという。ただ、先住猫がいるという場合、猫同志の相性が気になる。人間も同じだ、相性の合わないものは、どうにもならない。

保護猫譲渡にはトライアル期間が設けてある。もし、しばらく一緒に暮らしてみて、うまくいかなければ、戻してもらえるという決まりだ。もちろん、それは先住猫と・・・でもあるけれど、飼い主の人間と・・・でもある。

「こゆき」は「こはる」との間で揉めることはなかった。とはいえ仲がいいともいえなかった。ケージで隔てていたからかもしれないが、微妙な距離感であった。なので、他の猫とうまくやれるかは未知数だ。

お見合いは、まず順当に進み、「こゆき」は新天地へ引き取られていった。でも、なんか、そのうち、戻したいという連絡がくるんじゃないかと、気が気ではない。「こはる」のときは、そんなに心配はしなかったが、内向的な性格だと気になってしまう。

う~ん、不詳の娘を嫁にやるのは、いろいろ心労があるのだなとおもった。
幸い、連絡が来ることはなかった。どういう様子かは、わからないけれど、報せがないのは無事の証拠。きっとうまくやっていけるだろう。

というわけで、はじめての保護猫預かり体験は、無事に終了したのだ。


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