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【映画】カミーユの解説と感想

カミーユがなりたかった写真家とは?


「君は被写体を決められていない…君はどんな写真家になりたい?」
写真家カミーユに投げかけられた冒頭の言葉。

自分自身に置き換えて考えるなら
「君は何物にも為っていない、君は何物になりたいのか?」である。
仕事をしていても
趣味に没頭していても
作品を作っていても
こうして映画のレビューを書いていても
フッとした瞬間に壁の様に立ちはだかる。
全くもってキツイ言葉だ。

監督がカミーユにこのような問いかけをしたのかは、
恐らく彼女が何故、危険な中央アフリカに拘ったのかを
映画の中で、ある程度ハッキリ説明するためにした
ように思われる。

戦場カメラマンの心情

この映画は現実に起こったことを基にした話であり
カミーユ・ルパージュは危険地帯(セレカと反バラカの交戦地域)
の取材中に命落とした。
私達のような内戦から、かけ離れた国の市民からすると
彼女のようなカメラマンの心情を理解するのは
なかなか難しいように思える。

「ジャーリストとして正確に情報を伝えたい。」
「現地の状況を伝えて、国際社会に貢献したい。」
「現地の人の声を世界に届けたい。」

もちろん、これらの答えは間違いではないだろう。

しかし、監督はカミーユの信念や心情を
映画の中でより細かく描写している様に思える。

恐らくカミーユは写真家として自分のあるべき姿を
内戦の絶えない中央アフリカで模索していたのではないだろうか。

カミーユが感じたジレンマ

カミーユは現地の反バカラのメンバー、シリルや現地の人達と
このような問答をする。

反バカラ;「私達のテリトリーで反対勢力がのさばるのは我慢できない。
      暴力により排除する。」

カミーユ:「反対勢力も同じ事を考えている。暴力では何も解決しない。」

反バカラ:「ここに住んでいないあなたには関係のないことだ。
      仮に私達があなたの国に住みたいと言ったとして
      あなたに私達の世話が出来るのか?」

カミーユは現地で自分の非力さに歯痒い思いをする。
それは自身が撮影した写真を切っ掛けにフランス軍が
事態の鎮圧に乗り出したとしてもだ。
もしかすると乗り出すことで現地民の被害は減るかもしれないが
それは対立する勢力が現地で一つ増えただけで
本質は何も変わらないからである。

領域があいまいになるカミーユ


カミーユは中央アフリカを専門に扱う決心を固め、
反バラカに従軍しながら写真を撮るようになりる。
そして祖母から告げられた警告、
「対象から少し距離を置きなさい。…でないと続けられない。」に
反してカミーユは、この戦場に居心地の良さを感じるまでに
同化してしまうのであった。

映画を通した感想

程なくして戦場で命を落とすことになるのだが
カミーユは自身が思い描く写真家になる事が出来たのだろうか?
私、個人の見解は、彼女は生半可な気持ちで内戦を
撮影し続けたのではなく、戦場で傍観者である自身の不甲斐なさと
写真家として対象を追い求めたいという責任感とも願望とも
言える心情の間で揺れ動き、気持ちを固めた様に思える。
そして彼女の理想の写真家としての使命を行動で
示し続けた様にも思えた。
そうであるなら彼女が本会を遂げたことを願い、
そして中央アフリカの内戦の犠牲者に冥福を祈るばかりである。

補足、中央アフリカの内戦


独立以来クーデターが多発しており政情は常に不安定である。
それにより120万人の避難民(全人口の4分の1)がおり。
経済は停滞しており失敗国家の一つに数えられている。


独立・ダッコ政権 1960年、仏から独立

クーデター・ボカサ政権 1965年
 
クーデター・ダッコ政権 1979年

クーデター・コリンバ政権 1981年

パタセ政権 2003年

クーデター・セレカ政権 2012年 初のイスラム教徒大統領

無政府期 2013年 フランス軍の介入

トゥアデラ政権 2014年
        2021年現在 内戦は継続中

現在の中央アフリカの対立は
現在引かれてる国境線は植民地時代のなごりであり
欧州列強が勝手に決めた国境線である事で部族間が
対立する問題になるのを発端とし、
イスラム教とキリスト教を中心の宗教対立
独裁主義と民主主義のイデオロギーの対立
等で未だ終戦の出口は見えない。


対立の構造は植民地を支配する鉄則の様なものである。
中央アフリカの状況は世界の負の側面を象徴している様に
思える。
地政学的、政治的に中国と米国に挟まれた日本にとっても
この国の状況は対岸の火事ではない。


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