新型コロナ禍における不謹慎なワクワクと期待【ブログ転載記事】
ラジオは良い。リラックスして人の話を聞いていられる。話を聞くという責任が無い中で人の話を聞くことができるからだ。
ある時シャバ夫は「NISSAN あ、安部礼司〜BEYOND THE AVERAGE」を聞いていた。
ラジオで男が話していた。40代後半くらいだろうか。彼は20年ほど勤めた会社を退職するという、人生の岐路に立っているらしかった。
概ね以下のようなことを言っていた。「周りは俺が上司とうまく行かなかっただの、先が見えなくなって行く末を悲観しただの、勝手なことを言うけど、ホントはそんなんじゃない。ホントは、何ていうか、気分転換したくなったんだよ」
退職や転職となると、人生の一大事です。その一大事を起こす理由が「気分転換」とは、なんと嘆かわしい。一大事を起こすにはそんな軽い理由ではなく、より熟慮が必要ではないか。
しかしながらシャバ夫は感じました。「この人は自分自身だ」と。
気分転換は一大事
人間誰でも変わらない日常に飽きたり、うんざりしたりします。生きていると、色んなものに付きまとわれます。
人と人との折衝だったり、責任だったり。そういったものは時として、人を疲れさせる。そんな時、誰だって「気分転換」が必要です。ただ、そんな一大事を起こすことは容易ではありません。
「なんか天からの助けが来て、楽しいことが起こらないかな~」人はそう思いがちですし、他ならぬこのシャバ夫もそう思いがちです。
シャバ夫は人間の弱さを肯定する。その弱さこそがシャバさ。
今は新型コロナ禍の只中にあります。不安を抱えながらも、何が起こるか分かりません。そんな中、不謹慎であることは重々承知をしておりますが、シャバ夫はほんの少し、期待とワクワクを感じているのです。
「もしこの只中で、勤め先に経営の危機などがあったとして、ぼくがリストラでもされたら、気分転換ができるな。。。」
こんな状況ですから、リストラがあっても、誰も責められません。会社側も精いっぱいの苦渋の決断の結果でしょうし、シャバ夫も「お前の頑張りが足らないからだ」なんて非難されることもありません。平常時であれば、自主退職しようともなれば、家族・親類に相応の説明責任が生じます。
「ex. お前は家族を養うべき立場でありながら、何を考えているんだ!」そんな怒号が飛び交う中、理由が「気分転換」であるとは、口が裂けても言えません。
それがリストラが理由であれば、誰も、誰からも、責められることが無いのです!
いくら「気分転換」がしたくても、そんな一大事を起こす気力も勇気も無い者たちよ。安心してください、このシャバ夫もあなたたちの一員です。
そんな弱い自分を否定する必要はありません。その弱さを、そのまま受け入れ肯定するのです。心静かにやるべきことに対処しつつ、天からの助けを待つ、それしかしなくても・できなくても、それで良いんですよ。そうしたければ、世界を変えるなどという、だいそれたことは、どこかの英雄に任せれば良いのです。
おまけ:プロフェッショナルサラリーマンの条件と、その倫理
以前、シャバ夫はプロフェッショナルサラリーマン(リンク)だと書きました。上に書いたことは、その「プロフェッショナルサラリーマンの条件」に抵触しかねません。
でも、それでも良いじゃありませんか。ルールは実際と、あるべき姿を天秤にかけて、日々更新していけば良いものです。ルールは人が幸福に生きるためにあるものです。
弱い人間にとって、ルールが強すぎるなら、優しいルールを作って行きましょう。
どうか皆様が、シャバさと共にあらんことを。
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