執筆に心挫けそうな人間にシャバ夫はハドリアヌス帝の回想を指し示す【ブログ転載記事】

けだし物書きというのは時として、孤独感が極まるものだ。

果たして自分が書いているこの文章に何の意味があるのか。単なる文字の羅列に過ぎないのではないか。そんな文字の羅列に何の意味があるというのか。ただ駄情報を蓄積し、サーバー容量を圧迫させているに過ぎないのだろうか。

そんなとき、シャバ夫は素数を数える、のではなく、一冊の本を心に思い起こす。

ハドリアヌス帝の回想

文字の集合である文章が持つ力を、この一冊は確信させてくれる。一人の皇帝の生涯を描いた本で、彼の喜びや悲しみ、後悔、懐かしみ、幸福感、そういった人生の軌跡が描かれている。皇帝とはいえ一人の人間だと感じさせてくれる。

文章は人間の人生を表現することができる。単なる年表としててはなく、そのタイトルの通りに回想、あるいは思い出として。それを思い起こせばこそ、自分の拙い執筆も、言わば文化の蓄積だと信じることができる。

執筆に挫けそうな全人類に、シャバ夫は文化蓄積の成果たるこの一冊を指し示す。それによって、消え入りそうな心の灯火が再び輝くことを確信しつつ。

シャバさと共にあれ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?