人を見下して優越感に浸る幸福になるチャレンジ【ブログ転載記事】

「熱いストーブの上に手を置くと、1分が1時間に感じられる。でも、きれいな女の子と座っていると、1時間が1分に感じられる。それが、相対性です!」(アルベルト・アインシュタイン)

非常にオシャレな表現だと思います。シャバ夫もそんな表現者になりたいものです。

「ひょっとして幸福感もそんな相対的なものなんじゃないかな?」

シャバ夫はふとそう思い、それを仮説として思考実験してみることにしました。「仮説」を立てて「思考実験」とか、なんか仕事ができるビジネスマンみたいでカッコいいですね、ふふふ。


  • 仮説 : 幸福感は相対的・比較によって増減するものである

  • 実験方法 : 自分より下位の存在を想定する

  • 結果予想 : 優越感に浸ることで幸福感が増大する

では始めましょう。シャバ夫は夫の端くれです。したがって性的経験を持っています。今回は自分より下位の存在として、性的経験を持たない人物(童貞者)を想定します。

シャバ夫は様々なタイプの性的未経験者を思い浮かべました。

  • 若者

    • むしろこれから未知の素敵な性的経験が待っている。そう思うとむしろ羨ましくもある。大体若いということ自体が時間を多く持っているということて、好ましいことだ。

  • 中年

    • 優越感を感じるというより、なんとなく後ろめたくなってくる。

  • 老人

    • この年代まで来るともはや、そういう状況を自ら選択してそうなっているのではないか?そこまで至っている人物に対し「性的経験があるからどうだこうだ」言うのは恥ずべきことでは?

人を見下しても優越感を感じんのやけど

自分より下位の存在を見下した割に、優越感を感じられませんでした。予想と食い違う結果です。

「幸福感は完全に相対的である」とは言えないと分かりました。幸福は一筋縄では論じられないようですね。そもそもよく考えたら「性的経験」の有無が人間的な上下に関わる問題じゃないような気もしてきます。お恥ずかしい。

あと、一般常識とも食い違うことですが、「人を見下したところで、優越感は感じられない」というより仮説も生まれました。

できるビジネスマンを気取ったばかりに、混迷の森へと迷い込んでしまいました。今日のところはこれで論を閉じますが、今後また幸福について本気出して考えていきたく思います。

どうかあなたがシャバさと共にあらんことを。

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