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発達支援コラム こどもを箱から出す。

『こうであってほしい』

『ああであってほしい』


子どもを箱に閉じ込める原因のひとつに


『〇〇すべき』

『□□であたりまえ』


といった固定観念があって

私も気をつけなきゃいけないなと

日々思っています。


さらに問題なのは

そこには『悪気がない』

ということです。

余計に気をつけなくちゃならない。


ああしてあげたい

こうしてあげたいと

様々な想いがある中で

エゴを持たずに、

立場を度外視で、


子どもに接するって案外難しい。


けれど、やっぱり

『本人が望んでいるかな?』

ほんの少し立ち止まることは、

非常に大切だと感じています。

反省しばしば。


『すべき』は

ひとりのニンゲンが

持っているだけの

『これぞ正解』という

思い込みにすぎない

と思うのです。


こどもの『そのまま』を育てる

にはサポートがあれば

十分だと思っています。

子どもにも親御さんにも

私たちは教える立場などではなく

あくまでサポート。

意外と簡単なようで

教えるよりもサポートの方が難しい。

・・・気がします。


「そのままを育てる」条件は

心底信じないといけないですね。

子ども本人が持っているちからを。


さて、なぜこんなことを

記事にしているかと申しますと、

つい最近・・・

こんなことがありました。


今年も何もない夏。

遠出はままならず。

花火もない。

祭りもない。

あるのは宿題だけ・・・。


「なにか楽しいことをしてあげたいね」と

うちの先生たちと話しまして

グループ指導で

『夏祭り』を

特別開催することになりました。


おもちゃやお菓子の問屋街、

松屋町(まっちゃまち)で

準備と称し、先日は先生たちと

大はしゃぎしてきました。

そう、私たちも楽しみなのです。

子どもたち喜ぶかなぁと想像して。


そういうわけで祭り開催に向け

グループ指導の中で様々案が出まして

珍しく工作が入りました。

工作では提灯を作っていました。


そして、ある1グループ。

私もたまたま

体が空きまして、

一緒に輪に入り、

お子さんと遊ばせてもらっていました。

お子さんに遊んでもらっていました、かな。


先生たちは

一生懸命準備から考えてくれています。

うちは送迎は行っていませんので

お母さま方は暑い中、

連れてきてくださって

待って頂いています。


『提灯の準備中から

子どもが喜んでくれる妄想は広がります。

いい作品にしてあげたい。」

と思うのは

人情


そして

保護者さんが

『連れてきた甲斐があったなぁ。』

って思ってもらえるようにと

自然と

プレッシャー

も先生たちには少なからずあると思います。


さて、そんな大人の思考の中、

一人のお子さんが選択したのは、


先生。

なにも描いてない提灯あるよね?

シンプルな作品がいい。

私、何も描きたくないんだけど。』


Sちゃんが聞いてきました。


皆さんならこんな時、どうされますか?


お子さんが描いたイラストなどが入った提灯が

大人の脳内イメージにあります。

準備で作ってんだから当たり前。


「何かちょっとでも描いてくれたなら

お祭りの日、Sちゃんの提灯を見て

お母さんも喜んでくださるかもしれないな。」

という思いもどこかにあるかもしれません。


さて

いっぱいエゴがある。


ここからです。

箱に閉じ込めるか。

箱に入れないか。


『描いてみたら?』

『こうしてみたら?』

『こんな提灯もあるよ?』

と、いうこともできます。


「作ってみたいなぁ」とSちゃん自身が

思えるような見本を、

例えばインターネットから一緒に見つけることもできる。


持っていき方でいくらでも

一緒に楽しんで作ることも可能でしょう。


やらせることは簡単。


そう、

箱に入れる方が簡単なんです。

『自分=大人』の気持ちが


子ども 〈 自分(大人)

になっていないか

ほんの少し立ち止まることって

必要だと感じます。


機会損失にならないように

「経験」を優先するのか。


発信を受け入れて信頼関係をはじめ

「承認」を優先するのか。


その選択はどちらも必要ですが

個々やシチュエーションによっても

変わってきます。


大人のエゴで

簡単にすることと、

経験をさせることは

全然違うわけです。


どちらにしても

意図さえ自分で持っていれば

成立すると思います。

全ては在り方じゃないかな。


Sちゃんは、

選択して発信しました。


『私はシンプルな提灯がいいんだ。』

と。


実はSちゃん。

絵が上手で絵本を作ることが

できるお子さんです。

お手紙もいっぱいイラストを描いて

くれます。絵も工作も得意。

提灯にだって確実に描ける。

描かせることは十分可能。


けれど、

『描かない選択をする。』

と発信できたSちゃんに、

わたしは、

『すんごい、いいなぁ。』

と感じました。


すんごくよくないですか?


描かない選択。

ロックだな。


『(シンプルな提灯)あると思う。

Sちゃんは描かない選択をするんやね。

それもいいとおもう。』


というと


『絵は好きなんやけどね。』

とSちゃん。

あなたはすてきです。



その後、お母さまには、

私が責任を持って

経緯をお伝えし、


能力的に「描けない」ではなく

やさぐれて「やりたくない」でもなく

気分的な「さぼり」でもないと

Sちゃんが誤解を受けないよう

『描かない選択』をした彼女を

褒めてあげてほしいですとお伝えしました。


『わかりました!それもいいですね!』

さすが分かってらっしゃる母上。

それもまたすごいこと。

お子さんの意思の尊重の大切に

されています。

そりゃいい子に育つわけだ。

待ち時間、Sちゃんだけ

ぼんやりするのもなんなので

私と遊んでいたので

エピソード話もさせてもらいました。


長い目で見ると

子どもの意思を尊重する選択を

私は選択します。


わがままになんてなりません。

話が通用しない場では

十分、大人の言うこと聞いているはず。

自分さえ良ければ他人はどうでもいい。

のと

自分の意思を発信すること。

は全くちがうので。

それによって他人と何かが起こるのであれば

それこそ、コミュニケーションで

折衷案を探ればいい。

白黒だから変になっちゃう。


〇〇すべきや

自分の先走って持っているイメージは

実はとても怖いのだと思うのです。


子どものためっぽくて

大人の押しつけになっていることは

案外たくさんあるんじゃないかな。


これが日常化するとこどもはどうなるか。

思考をしない大人へと育ちます。


養老孟司さんがおっしゃっていました。

学生さん(東大とかなので超優秀)に

「どうしてだと思いますか?」の質問に

『そういうもんだと思っていました。』

と若者は答えるのは

『日本の教育の賜物だ』と。

それを聞いた時、

子どもの頃の

「なんで?」

「どうして?」

「こうしたい。」

「あれしてほしい。」

を潰しているのは大人だなと。

元々、大人が

疲弊するくらい

みんな持っているのに。笑



『そのままでいい』

のではなくて

『そのままを育てる』


本当の子どもファーストで

子どもの気持ちを優先できる

大人が増える時代になったらいいなぁと

思います。

そうなりゃ

日本は安泰かもしれません。ね?





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