見出し画像

【麻雀】実際に出会ったフリー雀荘のうざ客②

年末年始、甥っ子(5)姪っ子(6)に会った。彼らは言う。

「しりとりが大好きなの!」

とにかく負けを知らないとのこと。
29年生きてきたお兄ちゃんに勝ってから豪語しようねと優しく啖呵を切り、戦いの火蓋は切られた。

先攻は俺でいいとのこと。バカめ。貴様らより人生経験豊富な俺に初っ端の言語選定を委ねるとは、まだまだ二流だ。しかし、まぁ、ここは焦らない。まずは様子見でやつらを煮て食うか、焼いて食うか、品定めといこう。

「すいか」

対戦相手のしりとり力をざっくりと把握できるのが"か"派生であることは定石である。さあ、どう出るか。

甥っ子「カズオオカズ」

一撃で脳内の情報処理がパンクした。29年間生きてきたお兄ちゃんが初めて聞いた言葉だったからだ。いったん敗北を認め、言葉の意味の教えを乞う。

姪っ子「きのうかんがえた、あたまのなかのトモダチだよ!」

まさかの甥っ子ではなく姪っ子による解説が横からカットイン。詳しく聞くと、彼ら共通の架空の友達とのことだった。

甥っ子「オカズくんはオカズしか食べない」

補足が入った。なんだこの、デスノートの「しにがみはりんごしか食べない」感。子どもの想像力って、おもしろい。

ーーーこんなかわいい甥っ子姪っ子と触れ合って、ハートフルマックスになった人間も、時に一瞬にして憤怒のインフェルノとさせられてしまう。「人をイラつかせる才能がハンパないフリー客と出会った時」だ。

前回、印象に残っている2パターンのうざ客を挙げさせていただいた。

本記事はその続きである。どう考えても、前半の甥っ子姪っ子のハートフルなお話で終わらせていい内容である。ただただ筆者が内に秘めた憎悪をとりとめもない言語化によって昇華させるだけの殴り書きになっているので、(そんなにムカつくならフリー行くのやめればいいのにバカかこいつ)と思いながらぼんやりと眺めていただきたい。

音速で牌を落としたがるマン

9巡目に不要牌を切ると、対面のおっさんの黙聴に直撃した。


「ロン。8000(ガラガラガラガラ(”ハッセン”の、”セ”あたりで点数申告者の右手が卓上の中央ボタンに伸び始め、”ン”を言い切った0.8秒後にまず川だけがガチャッと落とされ、なんとなく倒牌された手を眺めていいですよみたいな空気・猶予時間が与えられるもののそれも0.5秒ほどでありあっさりとすぐすべての牌を落とされる))。」





「余命宣告5分後の人のマネだろうか?お前は何を急いでる?

あ、もしかしてお前、あれか?スピーディにゲーム消化したいって考えているから?だとしたらお前はどうしようもないバカだ。バカだよバカ。いや、わかるよもちろん。わかる。その気持ちは。短時間でどれだけ遊戯できるか。サクサクゲームを進めたい。人生が限られているのであれば1打数でも多く遊びたい。わかる。しかしそれでもお前のそれは愚行だ。バカが。それだけ時間あたりのゲーム消化を重んじるならまずお前はもっと別のところで努力しろ。努力すべき点が膨大にあることを自覚しろ。教えてやる。スピーディにゲーム消化したい気持ちの本質は「時間がない」だ。時間が無限であればそんな何かに取り憑かれたように牌を落とすことはない。時間を生み出せ。もっと別のところで生み出せ。お前の時間捻出のエゴのために他の客を巻き込むなバカが。いいか?早起きしろ。お前は。早く起きろ。ビジネスパーソンにとって朝はゴールデンタイムだ。お前がグータラ寝ている間、世の社会人や経営者は時間が有限であることを当たり前に自覚し、自己研磨や未来への投資を今日もコツコツと積み重ねている。それによってもたらされる豊かな未来が心(時間)の余裕に繋がっている。その社会の仕組みを根本から理解している偉人たちがこれまで世に残してきた甘い蜜(恩恵)を吸い偉人たちの遺品に甘えながら、お前はダラダラと生きながらえてきただけなのだ。お前がインターネットの次に依存している「自動卓」も、プロダクトオーナーが寝食を忘れて商品企画を長考し長考に長考を重ね資金を投下し従業員が血汗涙を流しながら営業・メンテナンスを行い数多くの雀荘に受け入れられるような企業努力を重ねもう自動卓を置いていない雀荘なんて存在しないくらいの業界へと成長させてくれた恩恵があったからこそお前のようなどうしようもない何も残さず生み出さず何も積み重ねてこなかった人間のクズであるお前がふらっと来店してもすぐ自動卓に座りお得意の必殺"音速牌落とし"を興じれるわけよ。まずお前は時間を作れ。あと役が何だったか聞かれた時になぜかうざったいような顔すんな。音速で落としたお前が悪い。あえて感じ悪くするな。「え、役分からなかったの?」みたいな顔すんな。マウント取ろうとすんな。「俺様の一瞬の点数申告にお前らついてこれるかな?」みたいな顔すんな。美少女のツンツンは許せるがなんの魅力も取り柄も人望もないお前がそれをやるの結構キツい。(はい!ちょうどいきます!)」


補足だが、このゲームが終わったあと店を出ようとしたら後ろから肩をポンポンと叩かれた。振り返ると、一緒に同卓していた50代くらいのちょっとふくよかなサラリーマンだった。その日は非常についていない様子で、3ゲーム中すべてラスを食っていたように思う。

「お兄さん、また打ちましょうよ!いつもここくるの?今日はありがとね。」

同卓中、この方とは一度も会話していない。交わしたコミュニケーションは点棒をやり取りするときの相槌のみ。

あれだけの仕打ちを受けながらも他人に気持ちの良い挨拶を率先して行える人間の器に、文字通り心が浄化された。浄化される音が脊髄に響いてくるくらいだった。


気が変わった。

次回、フリー雀荘で出会ったハートフル雀士をまとめます。

お財布の中身がたりんちゅしていて死にそうです