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”みょうが”は至高である

夏の風物詩、みょうが。

みょうがが売られている時期は、常に冷蔵庫に置いてあるし、先日「好きな食べ物は?」と聞かれた時もみょうがと答えたくらいには好きだ。

納豆、豆腐、かつおのたたきとの相性は抜群。そのまま食っても最高。みょうがをざくざく4〜6等分にして、金山寺味噌とともに食べると至高。

みょうがのどこが好きなのかはよくわからないし、あの味を説明するのも難しい。苦いような辛いような渋いような僕の味覚では表現しきれない味。何が美味しいんだろうか?

子どもの頃は「苦っ、なんやこれ!」くらいにしか思っていなかったが、ここ数年は大好物と化している。いつから好きになったかも謎。

なのに、好き。

好きとはきっとこういうものなんだろう。「好きになるのに理由はいらない」なんて恋の名言的なものがあるが、僕のみょうがに対する思いもそんな感じ。

〇〇だから好きという「条件付きの好き」よりも、よく分からないけど好きという「無条件の好き」の方が尊いと思う僕の価値観にもぴったりだ。「条件付きの好き」は、その条件がなくなったときに終わりを迎えるが、「無条件の好き」はその名の通り無条件だから明確な終わりはない。

もしも僕とみょうがの仲を裂く敵がいるとしたらそれは「飽き」だと思う。

しかし、みょうがは夏の食べ物だ。秋〜春にかけては僕の目の前に現れない。飽きそうになっても飽きる前に僕の目の前からいなくなってしまう。

つくづくいけずなやつ。

飽きかけたところでいなくなり、また恋しくなったところで戻ってくるなんてね。今夏はまだしばらく会えそうだけど、あと1ヶ月もすれば徐々に姿を消していくことになるだろう。そしたらまた僕はみょうがに恋こがれることになるんだ。

きっと。

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