魅力的な変人と痛い人は紙一重
魅力的な変人と痛い人は実は紙一重ではないかと思っている。
魅力的な変人も痛い人もとがっているところがあるのは共通点。
だけど、同じ異質さや変わり者感があっても、魅力的に見える変人と痛い人に見える人には違い大きながある。
まず、前提として「とがり」とはこのようなものだ。
・他の人よりも優れた磨き上げられた能力
・豊富な経験値(幅の広さ、深さ)
・性格の偏り
・異常性を感じさせる行動
など。
魅力的な変人のとがっている部分は、それが尊敬ポイント、愛されポイントになる。
痛い人のとがっている部分は、嫌われポイント、めんどくさいポイントになる。
この違いがなぜ生まれるのかを考察してみる。
僕の感覚では大きく2つの違いがあると思っている。
1つ目は社会性があるかどうか。
魅力的な変人は、とがっていてクセが強い部分もあるけど、社会生活はまともにできる。TPOをわきまえることや誠実に人としての対応ができることなど。
対して、痛い人は自分がとがっている部分を過剰に主張してしまい、社会性を無視した行動(空気が読めない、誠実さにかける)をとってしまう。結果、人に迷惑がられたり、面倒くさがられる。
2つ目は、その人本来の性質なのか、意図的に作られたものか。
魅力的な変人のとがった部分は、「明らかに変だな、おかしいな」と思うことも多いが、どこかしっかり筋が通っていて違和感がない。むしろ面白い。ほどよい、ちょうどよい異質さと言ってもいいかもしれない。
対して、痛い人のとがった部分は、社会に受け入れられないことへの反骨心や過剰な承認欲求から生まれているように見える。その人の自然体じゃない部分からやってきているものなので違和感がある。また、話をしていても本人の主張が過剰になりがちで、聞いてる方もいたたまれなくなる。
微妙なニュアンスの違いが大きな違いになる
事例を書こうと思ったのだが、色々語弊を生むことになるので却下。最後にこの記事を書いて感じたことをまとめ的に書いてみる。
魅力的な変人はなろうとしてなるものではなく、その人本来の才能が発揮された結果そうなってしまうもの。
痛い人は、社会や誰かに受け入れられない自分が嫌で、どうにか受け入れられようとした結果、生まれてしまったかまってちゃん。
これが魅力的な変人と痛い人を分ける決定的な違いだと思うんですが、あなたはどう思いますか?
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