見出し画像

奥播磨から始まった日本酒ライフ。

自分が初めて飲んだ本格純米酒は、この奥播磨である。それまでは安酒をあおる程度で、もっぱらビール嗜好だったが、何かのきっかけで本格的なお酒を飲んでみようと、知識も経験もないまま、敷居の高い地酒専門店に入った。その日の夕食はすき焼きということもあり、店員さんに恐る恐る、合わせるお酒を聞いてみたところ、この奥播磨の山廃純米を薦められた。そして注釈が「冷やもいいですが、燗にして飲んでみてください。劇的に味が変わります。」結果は言うまでもなく、複雑な旨味に魅了され、そして燗酒の奥深さに魅せられ、日本酒の深海に吸い込まれ、現在に至る。

では奥播磨が常備酒かというと違う。冷蔵庫には白隠正宗、喜久酔、雪の芽舎が並ぶ。基本穏やかなお酒が日常だ。でも希に、中華やオイリーパスタ、濃い肉料理を食べる宴では、迷わず奥播磨を合わせる。何しろ面積の9割が山林という町で醸すお酒である。肉が合わないわけがない。そして強い酸が中華の油を切る。一度ジビエに合わせてみたいと企んでいる。

タイムスパン的にかなり楽しめるお酒でもある。この酒をクローゼット奥の日陰で常温保存し、その熟成を楽しむ。数年モノの古酒までは行かないが、短期間でも常温故にかなり熟成する。面白いことに、俄然美味しくなる。冷蔵庫にスペースがないことが最初の理由だったが、結果的に常温保存でも熟成に十分耐えうる素晴らしい酒ということがわかった。冷蔵庫が埋まっていてよかった笑

この奥播磨を醸す下村酒造店は、一度は廃業を考えた蔵である。なぜここまでの銘酒となったのか。V字回復の転機として、他の蔵ではあまり考えられない逸話がある。かの名門剣菱より「桶売り」を依頼された。それはただの普通酒のよくある桶売りではなく、剣菱の求めるレベルは非常に高いものであった。条件としては、山田錦であり、山廃仕込、2年寝かせる、麹蓋か麹箱を使う。謂わば伝統的な日本酒造りをハードルとされた。このオファーをきっかけに、蔵は本格的な日本酒造りへ舵を切る。麹室を新たに造り、山廃純米酒を桶売りした。自然界から乳酸菌を取り込む山廃を手がけたのも凄い、というか信じられない。その決意と取り組みは想像を絶する。そして、この設備投資と試行錯誤から、銘酒奥播磨が生まれる。

奥播磨を飲むとき、いつもこのエピソードを思い出す。酒も個人の人生もマイルストーンがあり、それをつかみ取れるか否かで。人間何がきっかけで成功するかわからないと、つくづく思う。お酒を飲んであまり人生を考えることはないけれど、この酒だけは色彩が異なり、自分を奮い立たせるという意味では、とても大事なお酒なのだ。

最近気づいたのだが、奥播磨の複雑な味わいは、脂の乗った鰻や穴子の蒲焼き系と抜群に合う。なので、土用の丑の日が近づくと、数週間前に奥播磨を買い、栓を開けて押入に保管する。数週間後に食べるうな丼に照準を絞るためには、このプチ熟成が非常に重要。鰻を頬張り奥播磨の燗冷ましを呑む。燗の温度が下がると、奥播磨は味が変化する。それに伴い肴をキュウリの糠漬に変えると、これまたムホホ。最後にデザートの芋けんぴ(写真)を数口つまみ、お開き。これが我が家、土用の丑の日の過ごし方。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?