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【あれ?やっぱり形からも意外と】

前回(初めての投稿)で、自分の研究が「形から」になってしまっていることについて、簡単に書きました。

書いていて「形から」入ることって本当にいけないことなのか?どうしても自分の中で解決したくなり、クラスの子どもたちに付き合ってもらって、あえて形から入る活動を取り入れました。「形から」の先に、何が生まれるのか、どんな学びがあるのか。


【取り組んでいる形から活動の紹介】

形から入る『無言・気づき・時間いっぱい清掃』

長野県では、たいていどの学校でも無言清掃を目標としていると思います。そして、多くの学校では無言にする意味を一人ひとり考えることが大切だという理念をもって指導に当たっているのではないでしょうか?

勤務校もそうです。無言清掃ができない児童には「どうして無言で掃除をするんだと思う?」と聞くことが必要だとされています。

そこをあえて、

きちんとした目的など考えさせず、とりあえず「形から無言清掃をしてみること」を始めました。

大それた目標や思いなどない、それでも無言清掃を形づくるためには簡単な工夫を2つしました。

①無言・気づき・時間いっぱいできているか同じ掃除場所同士でチェックするカード(よくあるやつです・・・)

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②チェックカードをもとに、評価が高い児童から次の清掃分担場所を決めることができる仕組みを導入。


この2つの工夫を行うことで、子どもたちは無言・気づき・時間いっぱい清掃ができるようになりました。

実際この取り組みを始めた初日には「無言でやらなきゃ、トイレ掃除になっちゃう!」「保健室の掃除したいから、無言がんばるわ!」という会話が聞こえてきました。
思っていた通り、無言で清掃する意味など、まったく考えていない様子です。まさに、形から入る無言清掃。

しかし、この取り組みを始めて2週間目に入ったのですが、少し変化が起き始めました。

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無言で掃除をすること・気づき清掃をすること・時間いっぱい清掃をすること自体に喜びややりがいを見つけ、意欲的に取り組む子どもたちが増えてきたのです。

「無言清掃ってどう?」と気になって聞いてみました。

すると「けっこーいいかも!」と返ってきました。


できるようになって初めて、それが持つ楽しさや意味を味わうことができるのかもしれませんね。

今回クラスの子どもたちは、形から入ることで、「どうして無言清掃をすると思う?」の答えを見つけられるかもしれません。


子どもの自主性を・・・・と勤務校ではよく聞きます。

でも、自主性を生むには、基盤となる経験が必要なのかもしれないなぁと、今回やってみて感じました。


とりあえず、清掃の先生に相談して、児童会絡めて、半ば強制的に無言清掃をせざるを得ない形から企画を立ち上げてみようかな。

形からって、意外とありじゃない?

あ。なんとなく、気分で音楽も張っていきます。








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